今の日本の祭りは惰性の産物かも、でもそれでいいのです
日本の祭りは庶民の幸せを育む拠り所なので、参加する人を拒んではならないのです

外国人労働者の方たちが浴衣を着て日本の祭りに繰り出す光景を見て、日本の祭りが外国人に乗っ取られるのではと、一部のネット民が危惧をしていたということが話題となっているそうなのです。
まあ、それはここに来ての移民排斥のムードが向上してしまったことで、ちょっとナーバスになり過ぎているのかなと思うわけです。
あの悪辣なクルド人どもが日本でクルドの祭りを勝手にやらかしたらメチャクチャ頭に来るけど、こちらの方は、外国人が日本の祭りという日本の文化に溶け込んでくれていることなので最高なことと思いましょう。
ということで今回は、外国人の話ではなく、祭りに対して、やたらに伝統だの文化などを持ち出すという、日本人が勘違いをしている祭りの存在に迫り、いつも通りの雑学タッチとオチャラケを交えて、実際は単純なだけの日本の祭りを簡単に考察してまいります。
外国人の浴衣姿は意外や様になっている
外国人労働者を日本のお祭りに招待をして日本の寛容な文化を知って楽しんでくれることはとても意義のあることなのです。
日本の祭りとは、取り敢えず日本独特の文化と接することが出来るものなので、外国人が浴衣を着て盆踊りを踊ったり、はっぴを着て神輿をかついでくれたら、日本の文化に溶け込んでくれていることなので、とても微笑ましい光景と思いましょう。
日本の祭りの場合は、神社や仏閣などで行われることが多いことで、日本の歴史に直接触れることが出来るわけでとても意義があることです。
祭りの屋台の縁日などは外国人労働者にとっても異国情緒を楽しめる息抜きとなるので、もっと寛容な目で見てあげましょうね。
何と言っても、これらは反日勢力がイスラムのイベントを企画して、日本人に対して当てつけをしているのとはまるで違うことです。
田舎っぺが深川の祭りを盛り上げた
それではここからは、日本のお祭りの本質について簡単に紐解いてまいります。
私は祭りの本場である深川の生まれ、というわけで、今から60年以上前のあの活気に溢れていた深川の祭りの情景が今でも脳裏に焼き付いている人間なのです。
しかし、その活気に満ちていた深川の祭りは、私が小学校の高学年になる頃には、掠れ気味となり、潮が引くように一気に半減をしてしまい、それ以降は祭りが開催される度にどんどん規模が縮小されて行き、あの活気に満ちた当時の面影は完全に消えてしまったのです。
あの盛り上がり、あの活気、あれって一体何だったんだろうと不思議に思うのです。
そう、あの深川の活気ある祭りを演出してくれていたのは、深川の伝統ある風習ではなく、後から移り住んだ人と、澁澤倉庫などの佐賀町、永代の労働者と木場などの材木関係の労働者たちだったのです。
なんと、深川の祭りが一番盛り上がりを見せた演出を施した主役は、江戸っ子ではなく、全国から集まって来た田舎っぺだったのでした。
なので、深川の祭りのポリシーである神輿に水をばら撒くという伝統を継承しつつも、その祭りの中身は当時の流行りを取り入れたものだったというわけです。
ありゃあ、見事騙された、でも日本の祭りなんてそんなものなのです。
深川の祭りは神輿よりも仮装がメイン
何故、戦後の深川の祭りが盛り上がったのかは、深川地区の人口増に尽きるのです。
深川地区は、空襲を逃れた地域が多かったことで、戦後になって多くの人が狭い長屋に同居するなどをして住み始めたからです。
それによって深川の人口は一時期5倍から10倍に膨れ上がったわけです。
それが高度成長と共に住宅ブームとなって郊外に散らばり出したことで、深川の街は瞬く間に閑散となってしまったのです。
それでは深川の祭りが一気に萎んでしまうのも当然のことですよね。
深川の祭りが一番盛り上がった時代は、100以上の町内会の神輿が繰り出す壮大なものだったのですが、今から思うと、祭り自体はかなりの紛い物だった気がするのです。
それはそれぞれの神輿の前は、仮装パレードの行列となっていて、神輿よりもそちらがメインではと思える光景だったからです。
そのパレードの行列には当時テレビドラマのヒーローであった、ハリマオや少年ジェットに扮した人や花魁女性やちょんまげの男性、はたまた怪獣の着ぐるみという仮装状態となっていたからです。
江戸三大祭りといわれた深川の祭りとは、祭りの中に流行りを取り入れたアイデアを駆使したイベント化した斬新なものだったのです。
庶民の祭りは伝統格式より幸せを育むもの
日本のバカマスゴミがよく使う、日本の祭りは伝統と文化の真髄などという言葉は、ただただ、わざとらしいだけということです。
一般人の祭りは皇室や貴族が執り行っていた厳粛な神事のような祭りとは違うもっと単純明瞭なものなので、伝統と文化に強引に結びつけるのは無理があるのです。
そうした中で、現代社会では、日本の地方の派手な祭りがやたらに紹介されていますが、日本の祭りがここまで派手になったのは、つい最近のことなのです。
それはそうですよね、江戸時代だったら、農民が派手な祭りをするなどは幕府が許さなかったので、祭りの殆どは地味に執り行われていたからです。
それが明治の世となると、地域が結束をして競い合うことで祭り自体がどんどんバージョンアップして行ったのです。
一般人の祭りの特徴は、過酷な冬を凌いで春の訪れという季節感を結うものや、秋の訪れという豊作を願うものなどが主流で、祭りの時だけは人の交流が盛んになるので一体感を持つことが可能となるのです。
また心理学者によると祭りは五感を刺激する体感が得られるので、一時的な逃避にも結び付くというのです。
当時、生粋の深川の生まれの祖母に聞いたら、明治、大正時代の深川の祭りはこんな派手ではなかったと言っていたのです。
その祖母は、深川の祭りがここまで活気が出てきて素晴らしいと喜んでいたのです。
やはり祭りは地味より派手な方がいい、派手に出来るのは潤いの証拠。
う~ん、でも私が見た深川の祭りは、時代限定のまぼろしの祭りだったのかも。
日本の祭りとは、その祭りの特色の伝統を継承しつつも、その時々のトレンドを取り入れて楽しむのが一番いいのかも知れません。
ということは、外国人とのコラボもアリだということです。
忍者ライターの久保誠が「デュラルライフ」「田舎暮らし」「シニアライフ」「スローライフ」「海外ロングステイ」の情報と「雑学のすすめ」を主題として、ソフトタッチに日々の出来事、経済、国際情勢、政治、芸能、歴史のウンチクなどを語ってまいります。





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