東京にいながら田舎っぺになる
田舎っぺになりたかった東京っ子パート2
今回は昨日に続き東京のど真ん中で生まれて「田舎っぺになりたかった東京っ子」パート2です。
東京のど真ん中に生まれたことで、自然に憧れを持った私は、田舎がないという疎外感に晒されてしまい、いつのまにやら田舎っぺになりたいという願望を持ってしまったのでした。
その影響は前回にもお話しした通り、田舎を持つ子供たちの優越感に嫉妬したからです。
ところが小学5年時になって突然に降って湧いた光明、父親が事業に成功したことで念願のマイホームを田舎の郊外に建てたからです。
そう、念願の田舎への引っ越しです。
その引っ越し先とは現在の多摩市、私が引っ越しをした当時は多摩ニュータウンも建設段階の状況だったので、その地はまだ南多摩郡多摩村の状態だったのです。
ここは、今迄生まれ育った深川とは雲泥の差の田舎そのもの、小学校は多摩村の広い大地に3校しかなく、それも1学年1クラスだけの小所帯なのです。
2000人を要した下町のマンモス学校とは大違い、しかも中学に至っては、村に1校しかないという、今で言えばど田舎と田舎の中間レベルの田舎街だったのです。
しかも学校の校庭は深川の学校の5倍以上の広さなので、野球もかけっこも自由に出来るのです。
まさに自然の中でのびのびと生きるという理想の地そのものです。
「東京にいながら田舎っぺになる」今から50年前60年前の東京都下の街はこのような田舎の素朴な街ばかりだったのです。
都会の雑踏からヘビの宝庫へ
ここはまさしく自然の宝庫だった、家から50メートルの距離に川が流れていて、ハヤやフナ釣りの絶好ポイントとなっているのです。
私の家の3軒先は畑や田んぼばかりなので、ヘビやトカゲがウジャウジャ状態でその数は半端ではなく、家の庭にもアオダイショウやヤマッカガシが頻繁に登場するくらいだったのです。
なんといっても、自転車を10分もこげば多摩川や浅川などにも辿り着くので自然の川遊びを満喫する場所はいくらでもありという状態です。
そして周りは小高い山だらけ、山には栗がいくらでも落ちているし、柿も食べ放題、山登りや木登りの経験などまったくない私もいつのまにやらたくましい田舎人間となって行ったのでした。
明日もこの話の続きです。
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