審判が覆る「裁判員制度」のありよう
人権の定義が定まっていない日本で素人が判決を下すのは無理がある

鳴り物入りで始まった日本の裁判員制度でしたが、ここに来て殆ど話題にも上らなくなってしまい今やスッカリと色褪せてしまったのです。
日本の法律は他国と比べるとかなり緩いことで、裁判の判決も加害者に対して大甘な判決が下される傾向があるのです。
この日本の裁判の大甘さには国民の間でも懐疑的な意見が噴出してきたのです。
そうした中で始まった裁判員制度は、国民感情の意に沿う判決への対処が期待されたわけなのです。
そう、確かに国民参加の裁判員制度は、国民が納得するような判決が下されたのです。
だがそれは、一審の序奏だけで終わるのでした。
ということで今回は、一般から選ばれた裁判員の判決が、再度、プロの裁判官たちに審議され、判決が覆るという裁判員制度の出来レースのまやかしに迫り、その実態をいつも通りの雑学タッチとオチャラケを交えて、簡単判りやすく解説してまいります。
裁判員制度はダブルスタンダード
何故、裁判員制度がまやかしといえるのか、それは裁判員制度によって言い渡された判決の殆どは、その後、プロによって覆されてしまうからです。
これこそはまやかしのダブルスタンダードの典型のことで、それでは何の意味の裁判員制度なのかと疑問の様相を呈してしまっているのです。
1審の裁判員裁判では死刑の判決が下されたとしても、2審のプロの裁判官が下した判決は、通常例を基準とする旧態依然の判決が言い渡されるので、無期懲役に減刑されてしまうというわけです。
こうして、裁判員制度で下された判決は、民意が反映されず、ことごとく犯罪者にとって好都合の旧態依然を基準とした判決が言い渡されてしまうのです。
日本の刑事司法の場合は、加害者の更生の可能性を重視するので、その基本に帰ってしまうので、罪が減刑されてしまうのです。
裁判員制度は大騒ぎをして鳴り物入りで始まった筈なのに、この体たらくとなってしまったことで、一気に国民の期待感が萎んでしまったわけです。
素人が人を裁くというプレッシャー
それにしても裁判員制度は、一般国民が裁判に参加出来て、裁判官の役目を果たすわけで、夢のような話でもあるわけなのです。
しかしもし、裁判員に選ばれてしまったら、辞退は簡単ではないので、苦渋の決断をしなければならなくなります。
何と言っても、重要犯罪の審議を求められて行くことは精神的に相当なプレッシャーにも晒されて行くわけです。
裁判員に選ばれると裁判員制度の審理期間中は、守秘義務が発生することで、数日間は拘束身分となってしまうし、その期間の日当もケチな金額しか支払われないのです。
そもそも、素人に重罪犯罪などの事件を判断せよというは無理難題に等しいのです。
そうした中で、意見調整を繰り返しながら、やっとの思いで判決へと導くわけです。
裁判員制度で下した判決は殆ど覆る
ところが、そんな苦労も水の泡となり、素人の余興はここまでとばかりに、あっさりと判決が覆される事態となるのです。
結局これは、プロの裁判官たちが裁判員制度自体を軽視しバカにしているようなものなのです。
この裁判員制度は、一般市民の思う感覚を反映する為に導入されたものですが、死刑判決などに関しては、プロの裁判官たちが再度審議して、過去の事例を尊重した判決が言い渡されるというわけです。
そうなると、死刑判決の基準である永山基準という4人を殺害した基準が採用されてしまうので、裁判員制度で下した判決は殆ど覆ってしまうというわけです。
裁判員制度はただの勉強会、市民感情は取り入れられることはないのです。
これでは、私たち国民は司法の出来レースに参加させられているだけというバカバカしさなのです。
一審は永山基準を外した素人の判決
ここに来て司法関係者だからといって、聖人君子、品行方正とは限らないとつくづく感じることは多いのです。
それは裁判官にも、私情が混じった偏った変な判決を下す裁判官がやたらに多い気がするからです。
そんな状態なので、裁判員制度で下した判決が覆されるのも当然のことなのです。
2審や最高裁は永山基準という4人を殺害した従来法の判断基準を固執するので、1審の裁判員裁判の判決は、素人の判決とバカしているわけです。
日本の弁護士は、日本人の敵であることは充分に知れ渡ってきましたが、裁判官、検察官もかなりおかしい連中なので、弁護士や警察と一緒で、国民の味方とは程遠い連中なのです。
結局、国家権力の司法に身を置くこの連中の場合は、超の付く特権身分の存在なので、国民目線とは大きくかけ離れているのです。
被害者より加害者重視の伝統の傾向
結局、裁判員制度の下した判決が覆されるのも、日本の司法制度は何か被害者を蔑ろにする視点が拭えないのです。
本来、被害者こそが弱者であり、人権の観点からすれば一番救いの対象になる筈なのに、被害者の人権を完全に無視して、加害者だけの人権を尊重して過剰に守ることへの矛盾と理不尽さ、こんな馬鹿げた話は無いだろう。
だいたい、自己防衛・自己責任を突き付けられた日本国民がなんで裁判員制度などの義務化に晒されねばならないのでしょうか、余りにくだらなさ過ぎます。
まやかしの裁判員制度なんて「こんなものいらない」のです。
まあ、感情論に走ってはならないのですが、日本はアメリカなどとは違うので、裁判員制度のありようをもっと深く検証して行かねばならないと節に思うのです。
忍者ライターの久保誠が「デュラルライフ」「田舎暮らし」「シニアライフ」「スローライフ」「海外ロングステイ」の情報と「雑学のすすめ」を主題として、ソフトタッチに日々の出来事、経済、国際情勢、政治、芸能、歴史のウンチクなどを語ってまいります。





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