田舎っぺをバカにしながらも田舎っぺになりたかった私
田舎っぺになりたかった東京っ子パート1
今回は田舎っぺをバカにしながら本当は田舎っぺに憧れていたという子供心の淡い夢の話をさせて頂きます。
都会を目指す殆どの人は、早く都会に染まって垢抜けしたいと願う人ばかり、その反面、都会人には田舎や田舎っぺに憧れを持つ人も多いのです。
私が子供の頃の都会の発展ぶりは目を見張るものがあった、しかし、同時にスローな田舎にも憧れを持っていたのです。
それは子供の頃に感じた疎外感、都会で暮らす子供たちの5分の1は夏休みともなると一斉に人口流動が始まるからです。
そう、夏休みの間は、田舎出身の親を持つ子供は、田舎のおじいさん、おばあさんの家に帰省するのが習わしのようだったのです。
特に私が住む深川地区は地方出身者の寄合いの仮住まいのような街だったこともあり、夏休み中はかなりの数の子供は田舎に消えるのです。
そして夏休みの後半になるとたくましく日焼けした姿で戻ってくる彼らは田舎で獲った昆虫などの戦利品を見せびらかせて悦に入るのです。
「オレの田舎は最高だぜ、川で魚獲りは出来るし、カブトムシも獲り放題、それがまたこんな狭っちい汚い街に戻るなんて泣きたくなっちまったよ」
そんなみやげ話を聞いて、都会にしか接点のない私たちは、ひがみやっかみとなるも、田舎があるっていいなあと羨ましく思ったものです。
田舎は本当にユートピアだった
そんな私は、親にせがんで奥多摩地域に何度かステイしたこともあったのでした。
そこは天国とも思える清涼の地、子供ながらも感じた空気の綺麗さ、今で言うマイナスイオンという酸素の量の違いに酔いしれたのでした。
そこは都会の喧噪とは裏腹な世界、耳に響いてくるのは川の流れの音と鳥のさえずりだけ、その川の水はそのまま飲料に出来るくらいの澄んだ色なのです。
とにかく、都会とのギャップに面食らったのでした。
それもその筈、当時の日本は高度成長期の真っ只中なこともあり、川には無造作に化学物質が投げ込まれ、どの川も生き物が住めない死滅状態と化していたのです。
特に人口が密集した深川の場合、生活排水やゴミの問題が深刻化し、ハエの大量発生を招いてしまうという劣悪な環境化に晒されていたのでした。
とにかく、当時の東京は大気汚染に包まれていたのです。
そんな劣悪な環境にいたのでは地元愛などは覚めてしまうもの、田舎に憧れを持つのは至極当然の成り行きだったのです。
私の親戚筋は都会人間ばかり、なんてつまらない家に生まれてきてしまったのかと本気で思ったものです。
今日はここまでとさせて頂きます。
明日は、都会を脱出して田舎に住んだ私の体験記です。
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