「支持率下げてやる」談合!談合!記者クラブ
自民党内の平河クラブという記者クラブで巻き起こった「支持率下げてやる」の騒動によって、改めて注目の的となった記者クラブの存在。
記者クラブとは誰が見てもおかしな存在、ここまで来たら、この報道の悪しき牙城である記者クラブという癒着構造は、完全に廃止すべき時期に来たと言えますが、情報をお役所に頼り切った陳腐なマスメディアの体質では、中々それも出来ないようなのです。
ということで、今回は平河クラブで注目を集めることになった記者クラブの存在に迫り、とかくやり玉に挙げられてきた記者クラブの悪しき実態をいつも通りの雑学タッチで真相を述べてまいります。
記者クラブはメディア全体を左にした犯人か
オールドメディアが言う「権力への抵抗こそが正義」というもっともらしい思考は、いつの間に国家を完全否定し、他国を擁護するという極端な左巻きへの傾斜に行きついてしまったのです。
そうした中で、今やオールドメディアに限らず殆どのマスメディアも一斉に左に傾いてしまい、国民の思いとは甚だしく乖離してしまったというわけです。
こうしてオールドメディアやマスメディアに対する国民の不信は頂点に達するまでになっていったのです。
いくら何でも、こんなゲテモノ連中の戯言など聞くに堪えないことで、耳を塞ぎたくなるというものです。
この異常な現況を作り上げているのは一体何か??
その一つは、ジャーナリズムの馴れ合い組織といえる日本だけに存在するジャーナリストたちの談合組織である記者クラブという存在が真っ先に脳裏に浮かぶというわけです。
日本の記者クラブこそはジャーナリズムの掟破りというほど、情報や報道の価値の根幹を損なうものなので、世界のジャーナリストたちから大失笑を買っている組織なのです。
日本ではよく聞く記者クラブという名前、実はこれ、日本だけに存在する都合のいい、マスメディアたちのナアナアの組織なのです。
今となっては、この記者クラブこそは新聞・テレビのオールドメディアの信用の失態を招いた元凶と言っていいでしょう。
記者クラブとはオールドメディアなどの特定メディアの独占を生み出し、談合、癒着体質を定着化させるというジャーナリスト精神も失墜させるものなのです。
この記者クラブは、欧米先進国には存在しないもの、日本特有の時代錯誤で、恥ずかしいほどの慣例を維持した組織なのです。
ジャーナリズムの根源を揺るがす差別と特権
記者クラブの特権の閉鎖性となあなあの連帯は報道機関にあるまじき体質なのです。
記者クラブが特に酷いと思われてしまうのは、雑誌媒体や弱小メディアを排除するという閉鎖的な体質で、オールドメディアなどの大手特定メディアだけを優遇するという差別的な特権構造を作り上げているからです。
これは中立公平を謡うジャーナリズムとは相容れない実に不純といえるものなのです。
これでは、馴れあいもいいところ、向こうから記事ネタを提供してくれるわけです。
こうして、特権連中だけのナアナアとなって互いが一目を置き合う関係となり、横並びの記事が常態化するのです。
そうしたことで、今回の自民党の総裁選挙のように、オールドメディアは図ったように同じ報道を展開していたのです。
私自身は、記者クラブ詰めの経験はないのですが、建設業界紙に数年間在籍していたこともあり、国交省や都庁の記者クラブの実態程度は知るのです。
我々のような業界紙はともかく、一般紙の場合、記者クラブは新人記者の巣窟だったのです。
記者クラブは全国無数にあり、配属されるのは入社3~5年の若手の記者が中心で、キャップ以外は若手しかいないのです。
そうしたことで、通常は3年の記者クラブの在籍で異動が繰り返されるのです。
昔からの閉鎖的な伝統で来ている組織なので、そこに当て嵌められて仕事をこなすだけなので、記者クラブの組織に矛盾を感じて改善を促すなんて奴は一人も現れないのです。
記者クラブに所属することで、横並びの連帯感が築かれるので、それを打ち破る行為は掟破りとなってしまうというわけです。
これではスクープの殆どが記者クラブに所属していない雑誌記者たちに奪われてしまうことがよく判るというわけです。
記者クラブが無くなると困るのか
それは、新聞・テレビや通信社などのオールドメディアの連中は今のやり方でずっと来ているので変えたら少しは難義するでしょうが、そもそも、こんなものは日本だけのものなので、記者クラブが無ければ仕事が出来ないなどと言うことは絶対にあり得ないことです。
記者クラブの一番の問題点は、組織の閉鎖性というその在り方に問題があるのです。
それは、ジャーナリズムの世界で自分たちだけが情報を独占するという仕組みを構築していることです。
現状はオールドメディアだけの牙城となっていて、雑誌社や弱小メディアを締め出すという特権的な立場を作り上げているわけで、まったくフェアな組織ではないのです。
しかし、記者クラブの存在は、情報をコントロールすることが出来ることで、情報を発信する役所や警察にとっては都合の良い存在なのです。
それは、大手のオールドメディアがクラブを取り仕切ってくれることで、うるさいメディアや雑誌記者たちを排除出来るからです。
でもそれ即ち、役所や警察などと、ナアナアの関係が出来上がるので、互いが都合よく忖度し合うという癒着の構造が成り立つというわけです。
そうなると、記者クラブで流された情報は殆ど書き写しとなって、後追い取材や検証もしないでダイレクトに報道されることが多いということになるのです。
オールドメディアとは、日頃は正義感ぶって、権力と対峙するポーズをとっているが、実際は、権力に胡麻をすって、情報をタダで貰っているのです。
何から何まで腐りきった日本のジャーナリズムの世界。もはや記者クラブの存在は問われて然るべきなのです。
記者クラブによって緩い体質が築かれているということは、情報そのものの価値も緩いものであるということになるのです。
記者クラブに頼る体質は、ジャーナリズムの信頼性を損ねるだけでなく、取材力の脆弱性を招くものなので本来あるべきジャーナリスト精神も失わせるものなのです。
何よりソーシャルメディアの登場によって、新聞・テレビのオールドメディアの報道の信頼性は情けないほどに著しく低下しているのです。
記者クラブをこのままにしていたら、世界中から物笑いの種にされるだけです。
(※いつも慌てて書くので、誤字脱字が多く、何卒、ご容赦願います)
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