オールドメディアさらば
テレビ離れを加速させた報道番組の愚行

それでは今回は、テレビ離れを加速させた要因の一つである、視聴者からやり玉に挙げられている報道番組の劣化を考察してみます。
ということでここからは、テレビが露骨な洗脳マシーンの政治偏向路線に突っ走ったことでテレビ屋の裏の顔の実態が丸見えとなって、テレビ離れを加速させてしまった背景に迫り、いつも通りの雑学タッチとオチャラケを交えて、報道番組のまやかしの実態を簡単判りやすく述べてまいります。
偏向報道の居直りと化した報道番組
今やテレビ民放各局の報道番組の偏向報道の脱線ぶりが止まらない。
ここに来てのテレビ報道番組の内容は、国民に対しての居直りと化したほどの異様な醜態をさらけ出した状況となっているです。
そうしたことで、日本人の若者の殆どはテレビの報道番組に嫌悪感を持ってしまいテレビ自体を見なくなってしまったのです。
テレビの報道番組は、かつては政治ニュースをソフトタッチに扱うというニュースを判りやすく解説し客観的に伝えていた存在なのです。
そうしたことで、このテレビの報道番組は、一時期、それなりの視聴率を稼げるという安定的な存在だったわけです。
ところがその報道番組は、テレビ側の独善の歪曲、偏向報道によって、若者たちから見向きもされない軽蔑の番組と成り果ててしまったのです。
それは、どの報道番組も印象操作の偏向と左路線の偏りが激しすぎることで見るに、聞くに堪えない一方的な政治ショーの代物となっているからです。
政治的プロパガンダを発信する報道番組に変貌
テレビの報道番組が受けたのは、ニュースステーションなどの身近な芸能やスポーツなどのカルチャー路線とニュースをコラボさせたトリックに視聴者をうまく懐柔させることが出来たからです。
しかしそれはテレビの政治色への路線変更の始まりだったのでした。
この成功により、各テレビ局はマンネリ化を防ぐために報道番組などを多様化するスタンスに舵を切り、政治色を強めて行ったのです。
ここからほどなくして、カルチャー報道路線もマンネリ化して行き、とうとう報道番組から娯楽色はなくなり、国民の意思とは乖離した偏りの政治的プロパガンダを発信するようになってきたというわけです。
国の行く末や政治に興味を持つことは確かに大切なこと、しかし、ここまで政治色が強くなると、憶測で物を言うことが多くなるのです。
結果、悪しき偏向報道が激しくなり印象操作が常態化するという左向き報道が目につき出してきたということなのです。
そう、このころから報道番組の情報の信憑性が徐々に疑われ出したのです。
そこにタイムリーに登場したのが情報を自由化させたインターネットの存在だったのです。
そこからはインターネットの進化の加速度が増して行き、もはや言うに及ばずの展開となり、テレビの衰退を招くきっかけとなったというわけです。
テレビは無用の長物と化したか
昭和時代の日本人の多くは、テレビを見ることが長年の習慣でありクセとなっていたこともあり、ついつい反射的にテレビをつけてしまうのです。
とにかく、音の無い世界が嫌で、音が出て人が動く姿が映し出されるテレビを見るとホッとするというわけです。
そんなことでテレビは、じり貧ながらも私たち国民の生活に欠かせない存在として生き続けていたのでした。
しかし、テレビの場合、余りに短期間にわたって進化を繰り広げたことで情報過多やネタ切れ感も相まってしまい、マンネリ化しだしてきたのです。
こうして、先進的立場を標榜してきたテレビでしたが、趣味の多様化からゲームの普及なども相まって徐々にテレビ離れが進んで行ったのでした。
しかし、そうはいっても、見ているだけ、音を聞くだけで何もしなくていい、一方的に情報が発信されることで、テレビの影響力は相変わらずの状態だったわけです。
情報の進化についていけないテレビ
ところが今の時代は、知りたい情報はスマホやパソコンによって瞬時で収得出来る世の中となってしまったのです。
何と言ってもテレビだと、極めて非効率そのもの、テレビは見たくもない余計な情報やCMなどがはさまれて、多くの無駄な情報が頭の中に拡散してしまうからです。
そうした中で、とくに報道番組の場合、テレビ局が選定した台本ありきの出演者を配置した押しつけの毒舌番組の様相を呈したことで、視聴者からは総スカン状態となってしまったのでした。
もはやテレビの存在は無用の長物と化した感があり、今では情報をテレビに求めるのは、暇で何もすることも無い年寄りくらいのものなのです。
報道番組はペテン師の戯言劇場
今迄のテレビの報道番組は、一方的に自分たちの情報を国民に発信してきたのです、これでは反論の余地も無いことで、情報の精査も出来なかったのです。
ところが、インターネットの登場によって、報道番組のヤラセと杜撰さが明るみに出てしまい、情報の信用性そのものが完璧に崩れ去ってしまったのでした。
それは言わずと知れた印象操作の数々、テレビは新聞同様、印象操作によって国民を欺いていたのです。
政治家の発言のキリトリは状態化しており、自分たちは取材もせず、通信社から買い取った情報をそのまま発信していたり、また、報道番組ではあからさまに偏向した発言をするコメンテーターとやらを配置し、自分たち一辺倒の番組を構成するなど、やりたい放題がまかり通っていたのです。
こうしてテレビは、国民の拠り所から一転、ペテン師集団へと成り果てるのでした。
すべてがバレても報道番組で自分たちの勝手な主張を述べて居直り続けるテレビ屋。
テレビも新聞と同じく、上から目線のバカどもが作っているのが判ってしまうと興醒めもいいところです。
テレビの電波は国民の共有財産であるので、公平こそが常識の報道番組で偏向を垂れ流していい筈はないのです。
報道番組のイメージはもはや総崩れ、新聞同様テレビも絶体絶命のピンチを迎えたと言ってもいいでしょう。
忍者ライターの久保誠が「デュラルライフ」「田舎暮らし」「シニアライフ」「スローライフ」「海外ロングステイ」の情報と「雑学のすすめ」を主題として、ソフトタッチに日々の出来事、経済、国際情勢、政治、芸能、歴史のウンチクなどを語ってまいります。





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