スローライフとデュラルライフと田舎暮らし: 田舎にお人好しは存在しない
テレビのまやかしに警鐘を促す1
都会の人の多さに嫌気が指してしまい、人混みから脱出して、人の少ない善人揃いの田舎暮らしを目指した都会人たち。
田舎に行けば確実に収入は少なくなるけど、人間関係のゴタゴタからは開放されるで、ヒューマニズムの素朴な生活が待ち受けている筈。
そうしたことで、人間らしさの生き方に掛けてみる。
ところが、トンデモの思惑違いの光景が待ち受けていたのでした。
都会の人間は、田舎の人をテレビのバラエティー番組でしか見たことがなかったことで、そのあまりの違い、ギャップに面喰ってしまったのです。
何度でも言うが、それにしてもテレビ番組の田舎暮らしの移住者たちのノー天気報道の数々は田舎の実態を舐めているとしか思えません。
テレビに出てくる移住者や先住民たちはどちらも緊迫感のないノホホン状態なのです。
その移住者たちが真っ先に田舎の恩恵として誇るのが大自然の恵みと田舎の人たちの心優しさというやつです。
しかしながら、後から来た人間が大自然の景勝地を独占出来るなんてただの戯言でしかありませんよね。
だって、大自然の景勝地には、必ずといっていいほど先住民たちが存在していて、その景勝を心の拠り所としているからです。
彼らにとって、そこにある大自然の景勝地こそは先祖代々にわたって命がけで引き継いできた特別なものなので、自分たちの苦労の礎の向こうに自然の恵みが存在するのです。
そうした中で、よそ者がいつの間にか住み着いて、自分の庭のような振る舞いをしたとしたら怒り狂うのは当たり前の事です。
テレビに出てくる田舎の人たちはみな気前の良いお人好しの人ばかり、これも何度も言う通り、表の顔と裏の顔の使い分け、テレビに映る顔は最大限のお人好しの顔なのです。
でも、実際、過酷な田舎で生きるにはお人好しなどでは生きてはいけませんよね。
これでお判りの通り、彼らが田舎の過酷な地で生き延びて来たのは、生命線である水の確保や食料自給の利権が付き物なので、争いごとがとても多く、その本性はとてもきつい性格なのです。
そんなことはどの世界でも同じこと、山だけでなく海の漁師たちもそう、漁協や漁村はよそ者を寄せ付けない雰囲気が漂っていますよね、こうした利権の存在とは自分の縄張りを守る為には、必然的に気が荒くなっていくものなのです。
だから、田舎でお人好しなんてしていたら何でも盗み取られてしまうので、あり得ないことなのです。
地方都市やハーフビレッジ(半田舎)に縄張り意識がないのは、移住者で形成された土地なので、先住者の縄張り意識が薄まっているからです。
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