好奇心旺盛となり学びの真髄を極めよう
昨日は無人駅を探索して、知らない街歩きや廃墟を求めての好奇心の旅の模様をお伝えしてまいりました。
今日は、人間の本能である知りたいという欲望と学びにスポットを当て、その真髄を簡単判りやすく記してまいります。
とにかく、50、60を過ぎたら精神を萎えさせてはならないので、その為には好奇心旺盛となること、好奇心と学びは若さの礎なのです。
何と言っても、知りたいという欲望は人間特有の本能なので、この知的好奇心を萎えさせるとしまいには人間の優越性も消失してしまうのです。
自助自立の減退は間違いなく老化を進めさせボケの要因にも繋がって行くわけなので、ボケない為にも学びは重要なのです。
好奇心や学びを今更だなんて思ってしまったら大間違いなのです。実は、脳は使い出すと再生することが医学で証明されているからです。
体力の方はいくら頑張ろうが肉体そのものが疲労の限界状態と成ってしまうので、再生は不可能なのです。ところが、脳や知能はそのまま持続出来るのです。
しかし、当然のことですが、脳も使っていなければどんどん退化は進んで行くのです。
ということは、使わなかったら損をしてしまうだけというわけです。
なので、学ぶこと、考えることで脳が刺激され、ひらめきなどの活性を生みチャレンジ精神も呼び起こすのです。
そもそも、人一人の生涯などちっぽけなものなので、学び足りないことだらけなのです。
いくつになっても学ぶことは多い、そう、学びは無限だからです。
まあ、そうは言っても、日本人の場合は学校教育の強制のトラウマを引きずっていることで、学びに対して懐疑的になる人が非常に多いのです。
私自身もようやく、学びの思想は限りなく奥深いと考えるようになり、人生は学ぶことの連続なのかも知れないという境地に浸ってきたのです。
というのは、私自身この歳になっても、まだまだ、知らないことだらけの無知人間なので、改めて学ぶことによって、人生観も大きく変化してきたからです。
学びに本流はないのです、なので、私たちの場合、デュラルライフ生活の中で、各駅停車の旅の実践などで、謎解きなどの遊びの精神を取り入れ、自分流の学びとしているのです。
こうしたことで、今迄の凝り固まった思考が覆ることで、結果、驚愕とともに楽しさ、生きがいに結び付いているのです。
それは、大河の平安時代の歴史一つとっても学び足りないことだらけ、そこには数々の謎も潜んでいるので、紐解きが楽しいのです。
あの歴史を知ると、改めて皇室の歴史の奥深さが学べて日本人であることの誇りも芽生えてきます。学びは、ロマンをかき立てるのです。
出来ることなら、そこそこの知力を蓄え人生を悔いのないよう、まっとうしたいものです。
それにしても、今の世の中は、本当に夢のようです、それはインターネットという誰しもが公平に学ぶことが出来る場が提供されているからです。
もうクズなマスコミの情報操作に惑わされることもなくなったのです。
誰もが学んで情報を発信出来る世の中になったのです。
学ぼう、大いに知ろう、歳をとっても夢を見る。
ひょっとしたら、自分には、まだまだ潜在的な力が残っているかも知れない。
明日も学びと好奇心の話をさせて頂きます。
コメント