都会の真ん中に生まれた虚しいサガ:狭い空間しか知らない都会の子供たち
今回も、昨日に続き、自分の出身地を素直に誇ることが出来ない東京生まれ特有の虚しさのパート6の話です。
60年前に起こった田舎への自然回帰の憧れのトレンド化。
そうなっていくのは当然のこと、当時の下町に住む子供の多くは、家にも外にも居場所は全くないからです。
子供たちの遊び場は狭い道路と倉庫街
当時の東京都内はどこもかしこも爆発的な人口の流入によって立錐の余地もない雑多状態と化していたのです。
そんな状況だったので、子供が遊ぶ空間がまったく存在しないと言うほどごちゃごちゃ状態だったわけです。
特に深川の場合は、狭い空間の中に何家族もが同居する異様な状況だったので、道路と言う道路には子供が溢れかえっていたのです。
家の中に入っても6畳一間に5人家族がひしめく状態なので、外の狭い道路で遊ぶしかないのです。
そうなれば自然の空間が広がる田舎に憧れを持つのは当然のことですよね。
油だらけのカオスな海水浴場:東雲海岸
実は深川の近くには東雲海水浴場という海水浴が出来る浜辺が存在したのです。
都心の人間にとってここは唯一の海水浴場なので夏ともなると結構な数の海水浴客で賑わっていたのです。
だが、ここは化学排水の垂れ流しで汚染が進む隅田川の河口に面していることもあり、水質の悪化が年々進んでしまい、とうとう遊泳禁止となってしまったのでした。
とにかく、最後の方の東雲海水浴場の惨状は酷かった、水は透明度ゼロでガソリン臭の臭いが漂っていて、泳いだ後は体中がベトベトになってしまうのです。
そんなことで、海水浴ともなると千葉の内房や外房、湘南地域は江の島まで遠出をしなくてはならないのです。
そんな状況なので、東京に住む人間はレジャーに飢えていたこともあり、浦安や葛西橋でハゼが釣れ出したという噂が立ったら、人が殺到してしまい、あっという間にハゼは取りつくされてしまったのです。
こうして都会の子供たちの田舎願望が益々増していく結果となって行ったのです。
まあ、都会の子供のベーゴマやビー玉遊びも風流があるものですが、子供はやはり活発に動くことで成長が養われるものなのです。
当時、子供ながらに思ったことは、人が多過ぎるのも考えものと感じたこと、結局は遊びでも何でも分捕り合いとなってしまうので、サバイバル状態と化してしまうからです。
今日はここまでとさせて頂きます。
明日は、遊び場所がない深川において唯一遊び場所を提供してくれた深川富岡八幡宮の話をさせて頂きます。
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