日本は四季のある最高な国???パート5
気候の変動の良し悪しを考えてみる
デュラルライフや田舎暮らし、シニアライフに欠かせないアイテムの一つである日本の四季をテーマとして4回にわたって述べてまいりましたが、今回はその最終章、四季を自慢しながらも、口で言うほど四季に有難みを感じていない日本人のシラケ感、気候の変動の良し悪しに迫ってまいります。
四季を誇りに思う日本人の感性、それはそれで悪い話ではないのですが、結局、日本人がここまで四季に拘るのは冬の寒さや夏の暑さを乗り越える為の古き過去の過酷な時代を生き抜いてきた精神的支柱のマインドコントロールを押し付けられているようにも思えてしまうのです。
過去の日本国民は秋になると過酷な冬を乗り越えていく為にそれ相応の準備を整えなければならなかったし、同時に春も真夏の暑さを乗り越える準備を整えてきたのです。
こうして日本人は季節の変わり目ごとに毎度緊迫感に晒されてきたのです。
四季はハンディキャップだらけ
ぶっちらけたことを言ってしまうと、そもそも四季というものは気候の大幅な変動を伴うことで人間が通常の社会生活を送るにはハンディキャップが多くなってしまうのです。
何と言っても、季節の変わり目は、気温の上昇や低下が繰り返され、そして日照時間も大きく入れ替わり、同時に湿度や気圧なども変化するので、大幅な生活の改善が伴うからです。
そうなると、特に年寄りの場合などは、メンタルを維持することが困難となってくるので、季節の変わり目に体調を崩す人が多くなってしまうのです。
結局、日本の場合、四季といっても春と秋が短すぎるのです。
春になってようやく寒い冬から脱出出来たと安心したら、それになじむ間もなく、猛暑の夏がやってくる。
そして、暑い猛暑の夏から涼しい秋が訪れたと思いきや、これまたなじむ間もなく、寒い冬がやってくる。それが日本の四季の姿なのです。
日照時間などが低下すると自律神経に影響が出てくるので、気が沈んだり、イライラ感が募ってきたりとメンタルのバランスが狂いだしてくるのです。
季節感が激しすぎて体感を忘れてしまう国民性
日本ではゴキブリがなんであんなに嫌われるのか、それは忘れていた頃に突然に出てくる奴らだからです。
東南アジアの国々のように一年中常夏の国の場合、ゴキブリは生活を共にする常連なので、常に見慣れた存在なのです。
しかし、日本の場合は気候の変動が大きいことで、冬の間はゴキブリの存在は忘れ去られてしまい、奴らを突然の侵入者の敵とみなしているのです。
何故こうなるのか、実は気候の変動というものは人間を鈍感にさせてしまうのです。
冬の生活が長いことで、夏に体感した生活自体を忘れてしまうからです。
それは夏も同じ、夏は暑いが人間を開放的にさせるので、冬の過酷は脳裏から遠ざかってしまうのです。
何と言っても、真夏は朝の4時になると明るくなるのに、冬場は6時となっても真っ暗闇、ようやく7時に朝日が昇りだすのです。
そこに寒さが加わることによって人間の行動は大きく阻害されるのです。
結局、日本人の場合は、1年のうちにこの大変化の循環を毎度繰り返しているのです。
しかしながら、これは毎度の過酷な変化を乗り切るという緊迫感こそが成長と繁栄を生み出す源泉となり、新たな産業構造が芽生えて様々な製造業が生み出されるきっかけとなったことは間違いのないことです。
気候の変動は製造業を生み出すのです。東南アジアに製造業が育たないのは気候の変動がないからです。
冒頭に触れたように、本当は四季などないほうが余計なことをする必要もなくヒューマニティーな生活が送れるのでいいのかも知れません。
でも、もしそうなったら日本は完全な出稼ぎ国家となっていたことでしょうね。
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