都会の真ん中に生まれた虚しいサガ、60年前の田舎ブームのトレンド
俺は深川の生まれの江戸っ子だ⁈⁈文句あっか!!パート5
今回も、昨日に続き、自分の出身地を素直に誇ることが出来ない東京生まれ特有の虚しさのパート5、60年前の田舎ブームに迫ります。
今、都会の人間のトレンドとなっている自然回帰の田舎ブームですが、実は今から60年前に東京に住む子供たちの間ですでに田舎ブームはトレンド化していたのでした。
ということで今回は、知られざる逸話と言うべき60年前の田舎ブームのトレンドにタイムスリップし、何故、都会の子供たちが田舎に憧れを持つようになったのかという素朴な疑問に触れてまいります。
自然に飢えていた都会の子供たち
何故、当時の都会の子供は田舎に憧れを持ったのか、それは田舎の子供が都会のオシャレに憧れを持つのと一緒で、都会の子供の場合は、ちまちました雑踏の中で遊んでいることで自然に飢えていたからです。
当時の東京は人口が密集してしまい、子供の数も半端ではなく、学校はどこも2000人規模のマンモス学校ばかりなのです。
その割に学校の敷地や校庭も狭いので、朝礼時などは、立錐の余地もないほどのぎすぎす状態なのです。
こうした、狭い空間しか知らない都会の子供は、田舎の綺麗な川や、星の輝き、カエルやセミの鳴き声を聞いたり、野鳥の姿を見たり、雄大な景色を見たらたらたちまち感動してしまうのです。
そしてそれを後押ししていたのが地方出身者たちの子供の存在なのです。
彼らは学校が休みになると田舎の祖父や祖母の家に消えていくのです。
そう、彼らの田舎自慢の話に刺激を受け感化されてしまったというわけです。
彼らの場合、取り敢えずは東京で生まれて育っているので、もろ田舎の出身者と違って東京の悪口を言うことはないので、違和感がなく受け入れられるのです。
まあ、子供の場合は特に良い部分しか見えないので羨ましさのあまり単純に傾倒してしまうというわけです。
それにしても、この時代の東京は子供でも判るくらいに環境汚染が進んでいたのです。
何と言っても、当時は経済成長の発展と儲け一辺倒の真っ只中の社会なので、公害が問題化しつつも、こうした負の側面はおざなりにされたのです。
こうして、川への生活排水や化学物質の垂れ流しが常態化してしまったことで、もはや回復は不可能であるというほどに汚染塗れが進んでしまったのでした。
こうなってしまうと、子供ながらもここからの脱出という願望が芽生えてくるのです。
しかしながら、今の都心は公園や緑地が整備され、ウオーターフロント開発によって川も綺麗になって大きく甦っているのです。
まあこれはすべて人工的なものですが、昔とは様変わりしているわけです。
もし、昔の都会が今のように公園の自然が整備されていたら田舎願望も持つこともなかった筈です。
この話は明日へと続きます……。
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