都会の真ん中に生まれた虚しいサガ:深川が取り持った不思議な縁
今回も引き続き、自分の出身地を素直に誇ることが出来ない東京生まれ特有の虚しさのパート4の話です。
故郷の悪口の自虐ネタ三昧という郷土愛が持てない東京人の哀しいサガ。
同じ深川生まれの女房との縁
東京という街は地方出身者たちの同郷の連帯感を育む不思議な魔力を持ち合わせているのです。
実は、同郷が取り持つ中というのは、東京生まれの人間にも備わっていたのでした。
散々な深川の悪口となってしまいましたが、結局、私は深川とは切っても切れない縁があったのです。
それは私の女房は同じ深川の生まれだからです。
私と女房は200メートルも離れていない場所で産まれ育ったのです。
歳は3つ下ですが、幼稚園も小学校も同じで、小学1年から3年時の担任は同じ教師に習っていたのです。
それも幼馴染でも何でもない関係で、学校や近所ではすれ違ってはいた筈ですが、まったく面識のない関係なのです。
女房と知り合ったのは青年期に入ってからのこと、大学時代の同級生の妹だったというわけです。
この同級生も幼稚園と小学校が同じ、何故、面識がなかったのかは、彼は一浪で入学してきたので、学年が一級上だったからです。
女房の兄と知り合ったのも大学に入学して初めてのドイツ語の授業で深川という街が偶然に引き合わせたものなのでした。
そのドイツ語の授業では、自分の経歴をドイツ語で書くというレクチャーが行われていたのですが、隣に座った人間のノートを互いが見比べてびっくり仰天、幼稚園と小学校の出身が同じだったからです。
そこから意気投合して友達となって行ったのです。
200人もいる学科の学生の中で、偶然隣に座った人間が幼稚園も小学校も同じの深川の出身者だったというわけです。
そう、同じ深川の生まれで仲良くなった友達の妹と結婚したというわけです。
深川の街が引き寄せた出会い。
結局、ケチョケチョ文句を言いつつ、深川という街が脳裏に刻まれているのでした。
う~ん、あのごちゃ混ぜの喧噪の風景も捨てたものではないかも。
今日はここまでとさせて頂きます。
明日は知られざる逸話、東京の子供たちによる60年前の田舎ブームのトレンドに触れてまいります。
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