多様性の恐ろしさに目覚めたアメリカとヨーロッパ社会
二拠点生活と田舎暮らしのブログを立ちあげたら、いつの間にやら政治ブログになっちゃった、ア、ハ、ハ、ハ。
とうとう、日本の若者たちが政治に興味を持ちだし、日本の行く末に目覚めたのです。
この流れを知らん顔などは出来ませんよね、是非とも私たち浅知恵の年寄りも一緒に参加させて下さい。
反グローバルリズムのうねり
ここにきて世界の政治は大きく動いたのです。
日本人もその流れに気づかなければならないのです。
今や世界の流れは反グローバルリズム一色となり、完全なナショナリズムへと方向転換したのです。
ご承知の通り、アメリカやヨーロッパでは、リベラルたちが主導した、少数を優遇する過度な多様性による社会構造の歪みによって大多数の国民生活の根幹を揺るがす大混乱を巻き起こしてしまったのです。
そうしたことで、アメリカやヨーロッパ中で吹き荒れているのが過度な多様性を反省するために立ち上がったというのが反グローバルリズムの運動なのです。
アメリカやヨーロッパの国民は、リベラルの仮面を被った極左の所業を遅まきながら見抜いたというわけです。
ヨーロッパには不似合いなモスクが立ち並ぶ異様な光景、こうしてヨーロッパのキリスト教的価値観が破壊されていくことを目のあたりにするという切なさ、虚しさ、いくらなんでも、国が移民に乗っ取られていいわけはないのです。
このまま行ったら、私たちの文化や生活、価値観もろともすべてが破壊されてしまう。
過度なグローバルリズムの標榜によって、化石燃料の使用は環境破壊とされてしまい、ヨーロッパ中の時が止まったように経済も停滞させてしまったのです。
これではリベラルたちが言っていた多様化による民族間を隔てた人々の共有やビジネスのグローバル化なんて夢物語の話というしかありません。
偽善のポリティカルコレクトのまやかし
結果は、リベラルたちが主導したこのポリティカルコレクトの多様性によって、移民社会や特定のリベラルたちだけが優遇される社会が築き上げられてしまったのです。
こうして、差別を生んではいけないと言いながら、多様性こそが差別の温床となって行ったというわけです。
これでは国民生活が良くなる筈もあり得ない。
結局、リベラルたちは、お花畑の偽善の論理を並べて大衆を騙し、誑かしてきたのです。
とにかく、これらに異を唱えると極左に毒されたメディアから叩かれるし、テロ攻撃にも晒されてしまうことで、民衆は怯え切った状態となったのです。
しかし、このままでいいわけはない、もはや堪忍袋の緒が切れた、そう、アメリカやヨーロッパの国民も一斉に立ち上がったのです。
ナショナリズムを掲げる政治団体の躍進
反グローバルリズムからナショナリズムへと方向転換、その変化の模様は、各国の政治動向の模様を見れば一目瞭然です。
アメリカンファーストのトランプ政権を筆頭に、ヨーロッパでは、イタリアの右派政党を率いるメローニ首相やヨーロッパの右派ポピュリズムの典型といわれるハンガリーのオルバン首相。
ドイツファーストを掲げて政党支持率で第2位に躍進したアリス・ワイデル女史のドイツのための選択肢(AfD)、フランスの国民議会選挙で首位となったル・ペン女史率いる右派の国民連合。
オーストリアでも移民排斥を訴える右派政治団体である右派政党が第一党となり、そして移民政策に寛容だったオランダまでもが、反移民、反EUを掲げる右派の自由党が第一党となったのです。
トランプ政権を筆頭にヨーロッパの極右といわれるこれらの右派も左翼が言うほど差別を助長していることなどは一切なく、要は極左リベラルが主導してきた過剰、行き過ぎた多様性、ポリティカルコレクトに対して異議を唱えているのです。
この流れに危機感を持った左派政党までもが反グローバルリズムの政治スタンスを取るようになってきたのです。
多様性によってアメリカやヨーロッパの文化や伝統、価値観が破壊されてしまい、国民生活の根本も破壊されてしまったという燦燦たる現実。
黙って見ていたら取り返しのつかない状況と成り果ててしまったわけです。
これでお判りの通り、アメリカやヨーロッパの人たちは、ポリティカルコレクトという善人の仮面を被った偽善によって大混乱を巻き起こしたことで、多様性の恐ろしさをまざまざと知ったというわけです。
そもそも多様性自体は悪いことではない、少数の権利が引き揚げられ、みんなが対等となれば言うことはない、でも、実際はそうはならなかったのです。
結局、多様性を政治利用されたり、営利に結び付けられてしまうとトンデモナイ歪を生んでしまうので、取り残された大多数の人間は悲惨を極めてしまうことになるのです。
すべては極左リベラルが巻き起こした偽善に尽きるのです。
もはや多様性の論議はどんどん後退して行くことになって行くことでしょう。
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