テレビのノンフィクションもヤラセで成り立っている
フジテレビの“ノンフィクション”のヤラセ疑惑は、ノンフィクションと銘打っていてもヤラセだった、というインパクトはとても大きいのです。
この番組は、名前の通り“ノンフィクション”ということなので、バラエティーを見るよりは骨太感があるというわけで、ついつい釣られて見てしまっていたのです。
しかし、途中からネタ切れが激しく、電波に乗せるに相応しくない余りに腹立たしい人物の登場や駄作の数々に閉口し途中から見るのを止めたのです。
フジテレビの“ノンフィクション”はニセノンフィクション
そもそもドキュメンタリーやノンフィクションは、年がら年中撮れるものでは無いのです。
企画ものと違って、ノンフィクションは、演出、仕込みも無い世界なので中身の動かしがきかない分、シナリオが整った物語より、数倍手間と日数がかかるからです。
日常の生活者をドキュメンタリータッチで画くには、演出を加えていかないと余程の被写体で無い限り、成り立たないということです。
特にフジのノンフィクションの場合、半数以上がとるに足らない人物を映し出しているので、本来は、ボツにするような映像ばかり、本気で手掛けたら下手すると日の目を見るのは、せいぜい10件に1本程度が関の山なのです。
ところがフジの場合は一切ボツにすることがないので、あり得ないほどの低劣な内容が多くなるのです。
そういえば、世の中の敵であるホストというクズのヤカラをもてはやしたのもこの番組だった。
これは、ノンフィクションだから視聴者も多めに見てくれるという甘えた体質が染みついているからです。
また、逆に言うと、ヤラセを前提とすればいくらでも作り上げることも出来てしまうのがこの手の番組なのです。
所々に演出を加え、それを指導して、思惑通りに仕上げていくだけだし、出演者も素人なので、ギャラも小遣いに毛が生えた程度で済み現場設定費もかからないので格安で仕上げることが出来てしまうからです。
この番組が何故ここまでヒットしたか、それは結局、どの裏番組もくだらないから、消去法で見るのがノンフィクションだったということです。
そもそも、この番組は、ノンフィクションを謳う割には重みが無く実に軽いタッチなので、かえってそこが受けたのかも知れません。
通常、ノンフィクションというと重厚でどっと疲れるというイメージがあるのですが、この番組は、素材が軽いので気楽に見られるというメリットがあったのだと思うのです。
ノンフィクションは真実であるが故に内容が無くても許せてしまうところがある。
しかしフジのノンフィクションは、真実と見せかけ、演出を施した見るに堪えない駄作の数々だったのです。
フジに限らずテレビは、こんなところでも我々を騙し続けていたのです。
コメント