昔の日本は自給自足の理想の地だった
ここまで自給自足に対して否定的なニュアンスを述べてまいりましたが、勿論、私自身は自給自足に対して否定論者ではありません。
むしろ利便に囲まれた豊潤社会を捨てて自給自足生活を実践する方々を尊敬の眼差しで見ているくらいなのです。
何と言っても、アメリカの118%の自給率に対して、日本の自給率の割合は38%という先進国中でも突出したほどの低くい水準でしかないのです。
そうした窮状の中で、現代社会に生きる私たちは何事もなく便利を謳歌出来てしまうことで、咄嗟の対応が利かない人間となってしまっているわけです。
それを考えたら、いざという時のために自給自足のサバイバルの知恵、そして耐乏生活の体験などを学ぶことは決して無駄なことでは無い筈だからです。
でも、これを場所をわきまえないで実践してしまうと自分勝手と判断されてしまうことで大顰蹙を買ってしまうというわけです。
ということで、今回は昨日に続き改めて自給自足という概念を簡単判りやすく紐解いてまいりたいと思います。
何故、昔の自給自足はなくなってしまったのか
しかしながら、忍者ライターとして田舎の地に忍び込んで得た情報では、昨日もお話しした通り、自給自足の方法論も今と昔では大違いということになるので、昔の自給自足と今の自給自足では大きくかけ離れてしまっている事実があるということです。
とにかく、自給自足は今や法だけでもがんじがらめとなり昔以上にハードルが高くなってしまったのでした。
実は、昔の日本は自給自足生活を送るには非常に適した国であったのです。
それは、日本の国土面積は、3,780万haですが、その3分の2が森林地帯なので、日本は、国土の割合からしたら世界でも有数の森林国家だからです。
森林地帯がこれほど多いのは日本ぐらいで、その割合は広大な国土面積を持つロシアやブラジルなども抜いているのでした。
これだけ森林地帯が多いということは、森の恵みによって様々な捕食動物たちが生息していることで食いっぱぐれがないほどの状態なのです。
田舎の人たちは、この森の恵みを利用して先祖代々から引き継がれてきた生きる業といえる自給自足の知恵によって過酷や不便を物ともせずに克服し、自然の大地で生き続けてきたというわけです。
しかし、近代のインフラ整備のライフラインの進化と共に様々な便利が導入されたことによって徐々に自給自足のしきたりは消え続けて行ったのでした。
こうして、自給自足の理想の地が一転、森林の過度の伐採によって自然破壊が顕著に進んでしまい、その後の再造林も怠ってしまったことで、森林の多くははげ山だらけの惨状と成り果ててしまったのです。
そうなると、そこに生息していた動植物の生態系も破壊してしまう結果と繋がって行ったのです。
もはや、その時点では、殆どの田舎に電気、ガス、水道という三種の神器が行き届いたことで、自給自足の概念はほぼ消え去ったというわけなのです。
まあ、そんな状況では、旧態依然の自給自足の生活を送ることなど不可能になってしまったことは誰もが理解出来ることですよね。
そうしたことで、今の自給自足は、足枷だらけの法に縛られた自給自足なので、昔のそれとは激変した自給自足だということなのです。
そうは言っても、今の近代化された自給自足も一筋縄ではないのです。
それこそセオリー道理には行くことは稀なので、昔以上に難儀となる場合もあるからです。
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