石破総理の「令和の日本列島改造」の3つの強力助っ人⁈⁈
それでは今日は、石原総理が提唱した「強い日本」、「豊かな日本」を進める「地方創生2.0」を強力に推し進めるという「令和の日本列島改造」のスタートアップ構想の柱とした、田中角栄元総理の「日本列島改造論」、大平正芳元総理の「田園都市構想」、竹下登元総理の「ふるさと創生」という3つの地方活性化に迫り、この3つの構想とは一体何だったのかの概要を簡単判りやすく紹介してまいります。
田中角栄元総理「日本列島改造論」
先ずは、石破総理がお手本とする第一の構想である田中角栄元総理の「日本列島改造論」から初めてまいります。
田中角栄元総理の「日本列島改造論」は、それこそ金に糸目をつけないという時代背景であったことで、それは、それは凄まじいほどの熱狂ぶりだったことで、様々な大プロジェクトが次々と実行されたのでした。
何と言っても、当時は日本列島のルートの構築は国家の祈願だったこともあり、国民は田中角栄元総理が提唱する「日本列島改造論」に酔いしれたのです。
それは「日本列島改造論」の相乗効果によってタダ同然だった土地の高騰が見込まれたこともあり、様々な業界がこれに便乗しようと猫も杓子もの状態となったからです。
冷静に当時の様子を振り返ると「日本列島改造論」は、OPECによるオイルショックの没発によって腰砕けしてしまったのですが、それさえなければ、この事業は更に続いていたことで、それこそ田中角栄元総理の評価は倍増していた筈なのです。
しかしながら、これは間違いなく地方を大繁栄させた最初の事業なので田中角栄元総理でなければ実現出来ない離れ業だったのです。
田中角栄元総理の「日本列島改造論」は、現在の地方創生と対比させて、明日も取り上げてまいりますので、是非ともご覧になって下さい。
大平正芳元総理「田園都市構想」
そして、大平正芳元総理の「田園都市構想」は、現在の「デジタル田園都市国家構想」の源流に当たる構想なのです。
その大平正芳元総理の構想は、開かれた地方で完結できる生活を送るという、地域の個性を生かして新しい地方の共同体を目指した理想の社会を作り上げるというものなのです。
この「田園都市」の構想は、イギリスのエベネザー・ハワードという近代都市計画の専門家が提案したもので、大平元総理は、このハワードの構想にヒントを得て日本版に作り替えたものなのです。
この「田園都市構想」は、確かに経済成長に寄与した役割は大きかったのですが、地方の集落やコミュニティの衰退も招いてしまい、結果的に都市部と地方との格差が一層増してしまったのです。
また、この大平元総理の「田園都市構想」は、中央集権的な体制を改めて、地方が主役である地方分権を進めることを提唱したものですが、この時代はまだ、時期尚早だったこともあり、結果、失敗に終わったと言われるプロジェクトの一つなのです。
竹下登元総理「ふるさと創生」
そして竹下登元総理の「ふるさと創生」です。
この「ふるさと創生」事業は、1988年に地域振興を目的に全国の3000余りの市町村に一律1億円が交付されたのです。
これに関しては、前にもお話した通り、石破総理はこの竹下元総理が行った「ふるさと創生」事業で、人口1000人の村と100万人の都市を平等に扱い1億円を支給したことを大胆不敵な政策の実行だと偉く感動した人だったわけです。
しかしながら、この「ふるさと創生」は世間からただのばら撒きと揶揄されたのでした。
そこで更に、竹下元総理がおっしゃった「石破なあ、それはちがうんだわ、それでその地域の力と知恵がわかるんだわね」
その言葉を聞いた石破総理は更に感動したということなのでした。
結果はどうか⁈
結局、純金こけしに純金カツオ、純金しゃちほこ、村営キャバレーなど、確かに地方の知恵⁈と実力⁈がよく判った典型例だったのでした。
それでもめげない石破総理は、地方創生での令和の日本列島改造でも、この知恵⁈を採用するそうなのです。
石破総理の父は自治大臣や鳥取県知事を務めた超エリートなので、石破総理は田舎のお坊ちゃま君なのです。
田舎のことを本当によく判っている人ではあるのだけれども、何かズレてる感じもしてしまうのですよね……。
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