論破王のひろゆきは日本の救世主かも知れない
田舎暮らしのトレンドのまやかしも端的判りやすく、そして鋭く指摘してくれたひろゆきは、日本の救世主に成り得るかも知れない。
そんなひろゆきを潰しにかかろうと躍起となっているのが、正論を言われて困り果てている大嘘つきのマスコミなのです。
左翼マスコミの言い草は、沖縄の一件でもそうでしたが、もはや話がまったく噛み合いません。
そうしたことで、ここに来て、新潟あたりのロートル政治屋を担ぎ出しては、論破しただのと妄想を張り巡らせているのでした。
悪いが化石みたいなジジイの話は聞きたくないのです。
政治屋は政治屋同士で議論を戦わせて頂きたいものです。
日本は、ウソをつくのは泥棒の始まりと言いながらも、ウソ半分、本音半分のバブルスタンダードの使い分けが常態化した誤魔化しの世界なのです。
いやそれどころか、本当のことを言うと嫌われる世の中なので、ズバリ言うのは勇気が要るのです。
何故そうなるのか、それは一歩も二歩も引くという日本的な悪しき礼節が基でその習慣が染みついてしまったからです。
これを民衆に習慣つけて、更には都合よく使い分けていたのはマスコミなのです。
だからマスコミは、ジャニー喜多川氏や統一教会やはたまたオウムなどに忖度してきたことで、犯罪を助長してきたのです。
主義主張は控えるという、本音を言えない日本人、それが基で、グローバル化から脱線してしまったことで、日本人はとうとう世界から見放されてしまったのです。
こんな日本的なクズな礼節などは、世界のどこでも通用はしないのです。
偽りの性善説で凝り固まった平和ボケの日本人の思考を変えて行くのは、強くきつい言葉で諭してくれないと理解に及ばないのです。
そこにソーシャルメディアの雄として現れたのが、論破王ひろゆきなのです。
彼は、既存のマスコミ媒体に属さない、プラットフォームを築きあげた存在なので、自由気ままに発言出来るのです。
しかし、日本もソーシャルメディアが中心になったと言っても、ネットの中心をなすのは、大ウソつきの新聞屋やテレビ屋が資本力にものを言わせて牛耳ってしまったことで、彼らの都合のよい規定を持ち出して言論を封殺しているのです。
とにかく、日本にはズバリ言う人が本当に少ない、それは政治家も評論家もそう、だから世直しが出来ないのです。
彼らは本来それを言える立場であり、それが仕事なのに何かとオブラートに包んだどっちにも取れる逃げ口上を用意した発言ばかり、波風立てたくない、みんな調子者なのです。
千羽鶴は平和の象徴から一転、偽善の象徴⁈
それでは次も偽りの性善説が染みついた日本人ならでは偽善話です。
国際感覚から逸脱してしまった日本人の感覚を目覚ましてくれたのは、ひろゆきの千羽鶴の一件でした。
実は私もひろゆきのきつい言葉で言われてハッと気がついた一人なのです。
人への親切は清く正しい心がけの一つ、しかし、その親切心も一歩間違えるとただのお節介となるのです。
じゃあ「同情イコール金」か、その通り、だが敗戦国家の場合はそれでも足りない。
千羽鶴の平和の象徴は、あくまで日本独自の文化であって海外には通用しない話。
見たこともない紙で折られた飾り物を一方的に押し付けられても困惑するだけです。
世の趨勢を見極めないと嘲笑を誘う話となりかねない。
そもそも親切心は、相手のことを考えて思いやり尽すことです。
と言うことは相手の置かれている身となって状況を察知しなければならない、そうなると、文化の異なる国に独自の象徴の押し付けは無用どころか恥ずべき行為となりかねない、やはりどう考えても千羽鶴はそぐわないのです。
いや清く正しい日本人だったら千羽鶴が通用するのです。
だから、市町村合併を拒み続ける村や上から目線の地域には、お金は一切送らないで、千羽鶴を送って喜んでもらいましょう。
強い言葉で言ってくれてありがとう、ひろゆき、日本人はこのくらい強く言ってくれないと理解に及ばないので、今迄と状況は同じとなるので、何のインパクトも無いのです。
もうノー天気は止めて、もっとシビアに考えましょう。
コメント