観光立国日本5:殿様商売から脱皮した日本の観光産業
昨日は、日本における旅行産業の悪しき道のりなどを振り返ってみましたが、今日もそのパート2です。
ここに来てのインバウンド効果によって、日本の観光地が大きく見直されてきたと言われていますが、それは、遅まきながら官民タイアップで受け入れを整地させたからです。
それは、「道の駅」効果を見てもお判りの通り、地域の特色を活かしたアイデア商品物ばかりで、なるほどという自助努力が見て取れるのです。
それこそ、昔はみやげ物屋ひとつとっても、どこに行っても代り映えしないものばかりだったのです。
何と言っても、過去の日本の観光地は「殿様商売」と「ヤクザ稼業」そして「旅の恥はかき捨て」が同居した進歩のない遅れた見世物の世界だったのです。
そもそも商売というものは何事にも仕掛けが肝心ですが、こと観光地に至っては温泉や景勝などの恩恵便乗商売なので自助努力を怠ってきたのです。
ある意味、日本の観光産業は怠慢で済んだので30年以上は大した動きが無かったのです。
酔っぱらいを待ち構えて暴利をむさぼってきたのが観光地、日本有数の温泉観光地の殆どはヤクザが取り仕切っていたのでした。
これは、長らく日本の温泉観光のイメージを堕落の象徴のように退廃させてきたのです。
その悪しき低俗な恩恵に便乗してきたのが日本の温泉観光地なのです。
この悪徳風習のせいで、いくら景気が良くなろうと、企業や団体以外の国民は、日本の温泉観光地には立ち入らなかったのです。
こうして日本は酔っぱらいの国となり、日本は経済大国といわれながらも日本人のモラルハザードは戦前以下の低劣なままだったのです。
そしてそれは、名勝や景勝などに頼り切って自助努力を怠った姿勢が丸見えの温泉以外の観光地にも波及していくのでした。
しかし、すべては「バブルの宴」の終わりによって終焉を遂げることになるのです。
そこからは、瞬く間に企業も団体客も消えて行き、温泉街の灯りは消滅していったのです。
こうして、派手な受け入れを行っていた施設は大打撃を受け軒並み淘汰されていくのでした。
それを呼び戻したのは、湯布院のイノベーションであり、草津、熱海です。
熱海などは、何年も塩漬け状態となり、熱海のイメージはガタガタとなってしまった。
しかし、いい加減をやり尽くした連中が街からいなくなったことで、徐々に街が健全化され、それを見据えた新進起業家たちの奇抜なアイデアによって、奇跡とも言える回復を遂げたのです。
こうして、ようやく安心して、温泉や景勝地に一般国民や外国人旅行者も足を運ぶことが出来たのです。
しかし、外国人観光客への対応はまだまだ脆弱なままなのです。
せっかく潤った日本の温泉や名勝、景勝をケチな「水抜き」や「二重料金」「ゴミの押し付け」などで興ざめさせてはならないのです。
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