日本の知事たちのグローバルリズムは単なる綺麗ごと
グローバルリズムはリベラルの合言葉だったもの、だが今では世界中で廃れ行く言葉となったのです。
しかし、日本の知事たちは、そのグローバルリズムの未だ信奉者なのです。
日本の知事たちがいう、人手不足の労働を補う為に外国人労働者を優遇して招致するというグローバルリズムの発想は綺麗ごとそのもの、それを実践したヨーロッパ各国の醜態をSNSなどのソーシャルメディアで、散々見せつけられてきたことなので、とても軽はずみに聞こえてしまうのです。
ヨーロッパは移民の規制強化に舵取りを切った
そのことは、もう言わずと知れたことですが、EUのヨーロッパ諸国では、人口減少に直面したことで、労働力の担い手として移民の存在に期待したのです。
しかし、異なる文化と価値観の違いから瞬く間に移民との軋轢が生じてしまい、著しい治安の悪化を招いて、国民生活は破綻を余儀なくされ、やむなく移民への規制強化に舵取りを切ったのでした。
移民・難民の受入れの難しさ、移民・難民として外国人を一旦受け入れてしまったら、その移民を追い出すことは簡単には出来なくなってしまうのです。
それは彼らには帰る場所もないからです。
だから、安易な形で優遇処置を講じることはとても危険が伴うのです。
それにしても、そもそも移民政策を行って成功したという国は一つもないのです。
殆どの国が、移民に対して過度なくらいに優遇的な政策を施した上で移民を受け入れてきたのですが、そのすべてはことごとく失敗に終わっているのです。
移民の子供たちは異国の教育に馴染めない
やはり、宗教の違いと文化の違いの隔たりは大きく、同じ価値観を共有することは難しかったのです。
とくに移民の子供たちの場合、言葉の違いは大きく、学校教育での共同生活に馴染むことさえ難しかったことで、教育現場の混乱を招いてしまい、子供同士の軋轢も生み出してしまったのです。
結果、移民の子供たちの多くは裏社会の組織などに招き入れられることになり、治安の悪化に拍車を掛けたのです。
こうして移民による独自のコミュニティが各地域で形成され、異国の文化と宗教が根強く定着してしまったというわけです。
もはやこうなってしまうと、手の施しようがなくなり、移民に寛容だったドイツ国民やフランス国民、スウェーデン国民にしても、もう移民はこりごりだと移民受け入れの政策に対して大反対の姿勢を露わにしているのです。
そうした中で、日本の知事の多くは、人手不足を外国人の労働で補うことを前提として、外国人の流入を推進しようとしているので、ヨーロッパの国々が招いたミステークとまるで同じ構図となるのです。
日本の知事たちは、実際に移民を受け入れて来た国々がどういう状態となっているのかを、ドイツやフランス、スウェーデンなどに行って、移民政策によって多文化共生という理想が実現出来ているのかの実態を視察してくればいいと思うのです。
勿論、観光気分の物見雄山じゃなく、県民の為の真剣な視察としてですけどね。
いや、それ以前に彼らは左翼なので、聞く耳を持ちません。
今の日本は国も地方も政治が腐った状態と化しているので、ただ投票に行くだけではダメ、もう国民一人一人が政治を自覚して参加して行かないとダメなのです。
伊万里での強盗殺人の衝撃度
伊万里市で起きてしまった外国人による強盗殺人事件での市長の発言にしても、伊万里市長の第一声は、何と、驚くことに市民に対しての不安の解消などではなかったのです。
この市長は、この事件を基に外国人に対して差別や偏見に結び付けてはならないなどと、加害者側に配慮するという外国人排斥に対して危惧する一方的な発言を行ったのです。
この市長も、外国人招致を積極的に推進して来た人物、労働力としての外国人招致は決して悪いことではないのは確かなことです。
でも、市長であれば被害者の方や市民へのねぎらいが先に発ってしかるべきこと、しかしこの市長の頭の中は、自分の政策そのものが最優先なので、外国人のことが先で、日本人のことは二の次となってしまい、完全に日本人に対しての配慮が欠けているのです。
しかしながら、そもそもこの事件の背景には、伊万里市が実施ている外国人実習生に対する劣悪な労働環境によって、現場の崩壊という実態が垣間見えるのです。
これは、孤立した実習生の一人が犯罪に走ったという典型例なのです。
伊万里市が外国人実習生に対して適切な対処を施していれば、ここまでの凶悪犯罪は回避出来た筈だからです。
結局、この市長は自分の政治私欲であるマニフェストありきなので、市民のことは二の次となっているのです。
何の落ち度もない善良な市民が、たった1万1000円の為に理不尽にも命を落とすという現実、しかも、それを市民の偏見にすり替える市長の横暴。
もう充分に判りましたよね、国政や県政、市政を担う政治家たちも、国民の命を守ろうとする政治家は皆無だということです。
私たち日本人は、知らず知らずの内に国民のことは二の次のグローバルリストの政治家に投票してしまっているのです。
これからの選挙では、国民の命、県民の命、市民の命、そして国民の生活、県民の生活、市民の生活を第一に考えてくれる人物に投票をしなければならないのです。
そんなことは当たり前のことですよね、もう日本人は当たり前のことが言える、当たり前のことが出来る国民にならなければならないのです。
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