岡本公三、望郷の念も虚しく哀れレバノンで死す
岡本公三の存在こそは、卑劣なテロを巻き起こした殺人犯なので、左翼の使いパシリの哀れな末路なのです

赤軍派のテロリストの岡本公三はテルアビブの空港乱射事件を巻き起こして、26人の民間人の命を奪うというテロ事件を巻き起こした人物なのです。
その岡本公三はパレスチナのヒーローと目された人物でしたが、78歳で死去したという知らせが入ってきたのです。
ということで今回は、岡本公三というヒットマンのテロリストに視点を置き、いつも通りの雑学タッチとオチャラケを交えて、哀れというしかない使い捨ての革命信者の末路を語ってまいります。
日本人がイスラエルを狙うという暴挙
岡本公三の場合、使い捨ての玉砕ヒットマンとして犯行に駆り出された人物なので、空港内の銃撃戦で死亡した奥平剛士と安田宏之と共に本来はあの場面で討ち死にしていた筈なので、78歳まで生き延びたことは御の字ということかも知れませんよね。
でもねえ、いくら過激派同士の協調といっても、日本人がパレスチナの為にテロ行為をやることは革命の大義にもならないことで、無茶もいいところです。
この当時は、日本赤軍以外にも西ドイツ赤軍のバーターマインホフグループやカルロスグループなどが、イスラエルを標的としていたのです。
そんなことで、パレスチナの意図とすれば日本人だったら警戒心が薄いことで犯行は容易いだろうと考えて、日本赤軍に白羽の矢が立ったというわけなのです。
早い話が、パレスチナ人の男とねんごろとなった重信房子の指令と、したたかなパレスチナ人にいいように利用されてしまったというわけです。
岡本公三は、銃撃戦後にイスラエル警察に捉えられて終身刑としてイスラエルの刑務所に収監されていたのですが、PFLPパレスチナとの捕虜の交換によって、1985年に釈放され、日本赤軍の本拠地であるレバノンで生活を送っていたのです。
それにしても、テルアビブの空港乱射事件の指令を出した責任者の重信房子が日本で自由の身で暮らしていることを考えると岡本公三や奥平剛士と安田宏之はタダの使い捨ての存在だったので、哀れとしかいえませんよね。
岡本と桐島はオヤジ革命家コンビ
結局これって、49年間の逃亡の末、入院中の病院で死亡が確認された東アジア反日武装戦線のメンバーのオヤジ革命家の桐島聡を彷彿とさせるわけです。
まあ、桐島聡の場合、49年の逃亡生活といっても、隠れてはいたが別に逃げてはいなかったのですけどね。
でも、逃亡犯の看板を背負ったままでは、まともな生活は送れないので、結婚も出来ないし、まともな就職も出来ないという不安定な状態で生き続けざるを得なかったわけです。
岡本公三の場合は、パレスチナが一生面倒を見ると宣言をしていたので、ひょっとしたら同居する女性などはいたかも知れませんね。
でも、レバノンのパレスチナ自治区での生活となると、自由ははく奪されているのと同じなので、相当な望郷の念があったことが伺い知れるのです。
岡本公三の場合、パレスチナの英雄として革命家の看板を背負った以上、その看板を下ろすわけにもいかなくなり、最期まで革命家としての筋を通した生き様となったようです。
それは桐島聡も同じで、何と言っても、あの時代は革命信者が量産された時代だったので、これも、生まれた時代が悪かったのかも知れません。
結局、この二人はいつまで経っても時が止まったままの思考でいるしかないのです。
革命家に巣くう総括という恐怖の魔術
それにしても、彼らは何故ここまで過激になったのでしょうか。
それは全共闘の嵐が去ってしまい、同時にニワカ闘志たちも潮を引くように去って行ってしまったことで、残された過激思想を持った若者たちがどんどん過激化して行ってしまったからです。
その背景には、彼らの敵は学校を支配する腐敗経営者たちではなく、いつの間にやら、機動隊という治安専門に鍛えられた国家権力が相手となってしまったからです。
こうなると、今迄のゲバ棒レベルじゃ追いつかない、火炎瓶の登場から、爆弾の製造など、革命達成の手段と称して、思考の展開が過激一方となって行ったのです。
ここまで行くと組織の引き締めも図らねばならなくなるので、総括と称する締め付けを行い、裏切りは一切許さないという恐怖政治を断行して行ったのです。
これを、岡本公三と桐島聡は忠実に守ったということです。
それにしても、岡本公三の場合は、イスラエルの刑務所で禊は済んでいるし、桐島聡の場合も捕まっても大した罪にはならなかった筈なので、残りの人生は日本国内で自由に過ごせたのです。
でも、革命家のプライドと足枷があったことでそうはいかなかったのです。
この二人はひょっとしたら革命家を卒業したかったのかも知れない。
革命信者が辿り着いた地上の楽園は地獄
革命伝説の虚しさ、結局、これは北朝鮮に渡ったよど号犯も同じなのです。
まあ、昭和生まれの場合は、1970年に赤軍派の過激派が起こした日本航空のよど号ハイジャック事件は、生々しく記憶に残っているのです。
日本航空の旅客航空機が赤軍派の9名にハイジャックされて北朝鮮に亡命をした事件です。
当時の赤軍派は公安の締め付けが激しくなった日本を離れて、革命の聖地であると目していた北朝鮮に渡って組織の拡大と引き締めを図ろうとしていたのです。
何と言っても、この時代の北朝鮮はベールに包まれていたことで北朝鮮は「地上の楽園」という共産聖地のまやかしが蔓延っていたからです。
そう、彼らは北朝鮮の「地上の楽園」にいけば革命のヒントが得られるとし、彼らは本気で革命を目指していたというわけです。
まあ、結果は、地上の楽園どころか、地上の地獄が待ち受けていたのです。
当然の如く、彼らの思惑は大きく当てが外れてしまい、北朝鮮政府に徹底利用される羽目となり、拉致を行う実行犯となって行ったのでした。
岡本公三は永遠に左翼の使いパシリ
岡本公三に関しては、日本の警察がその後も逮捕状を取って、国際刑事警察機構(インターポール)で国際手配をしているのです。
だが、その相手国がカルロス・ゴーン氏の逃亡先と同じのレバノンということで、レバノン政府が引き渡しを拒否していることで、日本政府は手も足も出ないというわけです。
仮に送還出来たとしても、岡本公三の場合は、イスラエルで13年間服役をしているので、日本で長期刑が科されることは殆どないのです。
でも、岡本公三は、帰国を頑なに拒否したのです。
しかし、実際の彼は、日本への望郷の念は隠せなかったのです。
反面、岡本たちを顎で使った責任者の重信房子は子供と共に日本で悠々自適に活動を開始しているのです。
岡本公三は、左翼からは信奉されても、普通の日本人からしたら卑劣なテロを巻き起こした殺人犯なのです。
岡本公三の存在こそは、左翼の使いパシリの哀れな末路なのです。
忍者ライターの久保誠が「デュラルライフ」「田舎暮らし」「シニアライフ」「スローライフ」「海外ロングステイ」の情報と「雑学のすすめ」を主題として、ソフトタッチに日々の出来事、経済、国際情勢、政治、芸能、歴史のウンチクなどを語ってまいります。





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