オールドメディアさらば
「私は核を持つべきだと思っている」というオフレコ破り

首相官邸の記者団とのオフレコという非公式取材で高市政権の安全保障担当幹部から飛び出した発言が物議を醸しているのです。
その発言とは、「私は核を持つべきだと思っている」だったからです。
う~ん、なるほどね、確かに高市政権の幹部から飛び出した発言で、「私は核を持つべきだと思っている」の発言は、センセーショナルを呼び起こすもの、だがしかし、これが記者団との懇親の場というオフレコを前提として飛び出した言葉となると、メディア側の取材倫理に対しても違和感を持たれることになるのです。
ということで今回は、政権から不信感の目で見られている中で、唯一のマスメディアとの懇親の場で、オフレコ破りを行うという実態に迫り、いつも通りの雑学タッチとオチャラケを交えて簡単判りやすくその実情を考察してまいります。
オフレコだろうが高市政権を追い落とすチャンス
このオフレコの掟を破った朝日や共同の記事を見ると、この官邸幹部は、中国の核戦力増強やロシアによる核での恫喝、北朝鮮の核開発などに触れて、日本の厳しい安保環境を背景に、米国の核抑止の信頼性にも言及しながら「日本は核兵器を保有すべきだ」との考えを示したというわけです。
日本にとって、核の話はタブーとされているので、とくに高市政権の揚げ足を取りたいマスメディアからすれば、政権の中心にいる幹部が核の武装に肯定的な発言をしたとなったら色めき立つのは判らないでもないことです。
こうして、この発言を高市潰しの絶好のチャンスと捉えた朝日や共同は、これこそが高市政権の本当の姿であり、高市政権こそは、日本を戦争へと導く危険な存在であると印象付けたかったのです。
倫理観もへったぐれもない高市潰し一辺倒
それにしてもオールドメディアは、かつてないほど存在感が問われている中で、オフレコ破りをやらかすとは、メディアとしての取材倫理の根本を揺るがしかねない問題と言っていいでしょう。
まあ、もう嫌になるほど毎日のように同じ話を繰り返しますが、日本のマスメディアとは、印象操作による偏向報道が常態化しているので、完全に感覚が麻痺した存在なのです。
もはやオールドメディアは情報をストレートに流すことは出来ないまやかしの報道機関に成り果てていることで、この行為自体も焦りの脱線状態といえるものなのです。
これによって、自分たちの取材の領域を狭めていることになるので、この行為自体が自分たちで自分の首を絞めているに等しいことです。
冷酷なマスメディアにリップサービスは通用しない
それにしても、政権の幹部が何でこんな軽はずみな発言をしてしまったのでしょうか。
結局これは、記者団との懇親というリップサービス的に捉えていることで、防衛本能が働かなかったわけです。
そもそも、こうした懇親での会見やぶらさがりでの会見などは、正式な会見ではないので、政権の幹部や政治家たちは気を緩めてしまうところがあり、それこそが彼ら記者たちの狙い目と言うことなのです。
しかしながら、懇親といっても、今のマスメディアはとくに高市政権に対して敵対を露わにさせていて「支持率下げてやる」を地で行く存在なのです。
この期に及んで彼らを性善説で見るのはいくら何でも脇が甘すぎですよね。
まあ、これでマスメディアとの紳士協定も崩れ去ったことで、高市政権も完全な警戒モードに突入したわけです。
そうなると、マスメディアの常套手段である、気を緩めさせての揚げ足の狙い撃ちという手法は使えなくなってしまったのです。
これがマスゴミの卑しい正体
今回のオフレコ破りによって、今後は警戒心ばかりが旺盛となって記者団との懇親はピリピリしたものとなってしまうことで、懇親どころではなくなって行くことでしょう。
それは同時に、言葉狩りや切り取りが慣習化したぶら下がり取材も減少して行くことになるでしょうね。
マスコミは、ここでも自らの卑しい行動が自分達の首を絞めていることに気づくのです。
若者に至っては、もう情報を新聞・テレビマスコミに頼ることは無くなってしまった。
新聞・テレビマスコミは自分達が作り上げた偏向情報を一方的に垂れ流すだけなので、信用にも値しないものと、完全に愛想をつかしているのです。
新聞・テレビマスコミは自分達の都合の悪い話は黙殺してきたことで、国民の知る権利がことごとく侵害されてきた。
それはマスゴミと揶揄される今日に至っても、その癖は治らないのです。
マスメディアはドミノ倒しのオフレコ破り
本来、オフレコ発言というものは、政権と記者たちの信頼関係で成り立つものですが、もはやオールドメディアは、高市政権降ろし一途の状態と化しているので、高市政権との信頼関係などどうでもいいと考えているのです。
だから、オフレコだろうがスクープと捉えて、これが高市政権の正体だとばかりに、鬼の首を取った如くの大騒ぎをするのです。
結局、こうしたオフレコ発言にしても、マスメディア側は、一方的な発信が可能となるので、不当な報道がまかり通ってしまうのです。
それにしても、1社がオフレコの掟を破ったら、他社も連鎖的に報道するという節操のなさには閉口するのです。
核論議をタブーにさせてはならない
また、こうした核への問題となると、必ずと言っていいほど効果設定として登場させるのが、世界で唯一の被爆国である我が国の被爆者たちの声というやつなのです。
そこで被爆者たちに、核の話など言語道断のことなどの核へのタブーをしゃべらすことで、核の論議を入り口の段階でシャットアウトさせるというのがいつものパターンなのです。
しかし、もはやこの期に及んでこの手法は、完全な時代錯誤というしかない。
唯一の被爆国であるのなら、核の恐ろしさや抑止の手段も考えて行かねばならないわけで、核をタブーにさせてはならないからです。
何と言っても、核の脅威に晒されているのは、今の我々であって、日本の未来を担う若者たちなのです。
結局、マスメディアが担ぎ出す被爆者の存在は中国や北朝鮮やロシアの核に対しては強い言葉は発しないという、左翼の回し者的な存在となっているのです。
申し訳ないが、彼らの言葉は前を向いた話ではないので、昔と違って心には響いてこないのです。
「私は核を持つべきだと思っている」の発言が問題なのかい。
別にこれを言ったっていいのじゃないの、インドとパキスタンの例を見ても、この最悪な関係の国が、核を持ったことで、バランスが取れて戦争をしなくなったのです。
そうしたことで、日本人の半数近くが抑止としてそれはアリと思っているのです。
そんなことで「私は核を持つべきだと思っている」という発言を問題視する左翼やオールドメディアに対して、心の底からの軽蔑感と疑心暗鬼を持ってしまうわけです。
だって、こいつらは日本人を地獄に堕とそうと企む連中だからです。
この核論議に関しては、近々に改めてお話ししたいと思っておりますので、その節もよろしくお願い致します。
忍者ライターの久保誠が「デュラルライフ」「田舎暮らし」「シニアライフ」「スローライフ」「海外ロングステイ」の情報と「雑学のすすめ」を主題として、ソフトタッチに日々の出来事、経済、国際情勢、政治、芸能、歴史のウンチクなどを語ってまいります。





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