二拠点生活のデュラルライフが田舎ありきとなる危険1
2回にわたって混同されがちなデュラルライフと田舎暮らしの生活模様の実態を簡潔に述べまいりましたが、ここからは、二拠点生活のデュラルライフが田舎ありきとなる危険性に迫ります。
ということで、ここでは、二拠点生活のデュラルライフを実践した私がその間違いを指摘するとともにその基本のさわりの部分の実態を簡単判りやすく紐解いてまいります。
地方創生は笛吹けども踊らず
地方創生の旗振りから、コロナ過によるリモート普及によって拍車がかかった感のある田舎暮らしや二拠点生活のデュラルライフな生活様式でしたが、その実態を垣間見ると表の騒ぎとは裏腹に足踏み状態と化しているのでした。
それもその筈で、とくに二拠点生活のデュラルライフの場合、田舎暮らしありきの間違った風潮と化した部分があるからです。
結局これは、二拠点生活のデュラルライフを実践するための基本様式自体が定まっていないことで起こるミスマッチが繰り広げられているのです。
二拠点生活のデュラルライフを望む方は、地方自治体などが招致する田舎移住のイベントやセミナーに参加したところで、殆ど意味をなさないのです。
二拠点生活のデュラルライフ生活を円滑に進めて行く場合、実行する場所である基本の土台を見誤ってはならないというわけです。
ただ、そうは言っても、二拠点生活の目標も人それぞれなので、私たちのように自由や癒しを求めるスローなライフワーク生活を送る発想とは違って、二拠点生活で田舎の人と仲良く協調する暮らしを望む人も多いのです。
そうなると受け入れてもらう立場となるので、通常で言う田舎暮らしと同様となり、田舎に同化した生活スタイルが基本となるわけです。
その場合、田舎の生活スタイルを真似ながら自分たちのデュラルライフ生活での要望も同時に理解してもらうというかたちとなるのです。
本来この発想はむしろ理想的な話なので、決して悪いことではないのです。
だが、それはとても難儀を伴うことを覚悟しないといけないし、それ相当な時間がかかるわけです。
ということで、これで旨くいっている人は極稀で、それなりの達人の方ばかりなのです。
普通の一般人がこの発想で挑んだとしたら、それ相応のしっぺ返しを伴うことになります。
今の田舎の人には、よそ者のライフスタイルという遊びのわがままに付き合うほどの余裕もないからです。
過疎地での二拠点生活はNG
もはや、田舎の現実は都会人から見るより遥かに厳しいのです。
通常で言う二拠点生活の実践は、干渉が伴う地域は一切ダメ、過疎で年寄りだけしかいない地域もダメなのです。
子供がいなくなって学校は消え、若者がいなくなって会社も消え、バス路線は廃止され、商店も消え、病院も消えた。
これではコミュニティ機能が崩壊するのは当然のことです。
年寄りしかいない限界集落は行政サービスも劣化してただでさえ住み辛さで困窮しているのです。
そんな場所ではデュラルライフ生活を送ることなどは到底無理な話となります。
ということで、先ずは選定場所を誤ると手痛いリスクに晒されかねないという話をさせて頂きました。
明日は引き続き、田舎ありきとなる危険2に迫ります。
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