ハーフビレッジ(半田舎)のルーツを知る
先住者から干渉を受けないという地方都市の郊外地に位置するハーフビレッジ(半田舎)とは、いうなれば地方都市の付属品的な存在なのです。
このハーフビレッジ(半田舎)の存在を知るには、ハーフビレッジ(半田舎)の成り立ちである地方都市が形成された歴史の経緯に触れることでその正体が見えてくるのです。
ということで、今日はハーフビレッジ(半田舎)の原型である地方都市が形成されたルーツを簡単判りやすくご説明をしてまいります。
地方都市の成り立ちは、今でいう都会への一極集中と同じで、同じ県内や隣県などから多くの移住者が住み着いて形成された地なのです。
その地域が地方都市として繁栄出来たのは、地場の人間とよそ者が流れ着いた果てに形成出来たことなのでした。
こうした地域は、県主導で企業誘致を行って来たり、県内地域の特産を育てたりして地域の活性化のために多くの人を吸収してきたわけです。
ということで、多くの山間の地域から人が移動したことで街が潤い融和を図って出来上がった地域なのです。
街が潤えば生活も一変するので、気持ちにゆとりが芽生えるものなのです。
そうなると、県内特有の大まかな地場の風習は残っても、田舎特有の凝り固まったしきたりなどの地域の土着風習はどんどん薄まってくるのです。
こうして、県内のあちこちから人が集まって来れば、その地の土着性は消えて行くものなのです。
代わりに、互いに干渉しないという風習が根付くことで、同じ県民同士といっても過度な連帯感は育たなくなるのです。
しかしながら、実は田舎には田舎特有の地域的対立と差別が根強く残っていることが多いので、そうはやすやすとは行かなかったのです。
しかし、地方都市の場合、最初は警戒心を露わにさせた地元民でしたが、移住してくるのは完全な部外者ではなくその地の風習を心得た同じ県民なので大きな軋轢は伴うこともなく、いつしか移住派にのみ込まれてしまったというわけです。
しかし、のみ込まれたと言っても、地元民の殆どは、いち早く経済効果に恵まれる結果となったことで、一気に生活が向上して行ったのです。
地方都市の多くは、こうしたプロセスを重ね、近隣県の移住者も受け入れながら成り立ってきたのです。
地方都市に行くと、私は南部出身だ、私は山間の東部出身だ、とか、ほとんど地元の出身ではなく、県内のあちらこちらから流れてきた人が多いのです。
そういう人たちは、土着の風習に縛られない人なので、よそ者に過度に警戒心を持つことは少ないのです。
当然、都会人がそこに住んだらよそ者と即バレしますが、田舎の集落のような変な連帯感はないので虐めにあうようなことは殆どないのです。
ということで、ハーフビレッジ(半田舎)の場合は、地方都市の郊外に面した新興地なので、土着風習は更に薄まってくるわけです。
人間というものは、団結して行くことで、新たな知恵が育まれて融和が図れるのです。
人の流れがない地域は、いつまで経っても旧態依然のままなのです。
これでお判りの通り、ハーフビレッジ(半田舎)の場合は、移住者が違和感なく溶け込めるというメリットがあることで、本格田舎の閉鎖性から比べたら雲泥の差なのです。
ハーフビレッジ(半田舎)は、都会人にとっても理想的な環境ということです。
ハーフビレッジ(半田舎)の話は、まだまだ続きますが、明日は一息入れて、私の私的な話をさせて頂きます。
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