田舎は都会人から見たらカオスの世界だった1
田舎をリポートした初期の話
今日は、私がユートピアを求めて取材も兼ねて田舎の地を巡った初期の話をさせて頂きます。
そもそも私は東南アジアでのロングステイを夢見てきた人間なのです。
そうしたことで、東南アジアの各国を回ったりプチロングステイのツアーなどにも参加をしてきたのです。
しかし、海外ロングステイブームは日本の円安と共に果敢なく消えてしまったのでした。
そこで、私が代案として描いた夢は自然が育む地で自由気ままなスローライフのデュラルライフ生活を送ることだったのです。
そのために、私はかれこれ15年前から二拠点生活の候補地を探し求めて地方巡りを実行してきたというわけです。
こうして、その模様を同時にブログなどでも発信しようと試みたのですが、時期尚早と判断し封印してきたというわけです。
当時は、デュラルライフ生活や田舎暮らしの実態をまともに取り上げるマスコミは殆ど無く、現地での取材対応もおぼつかない状態だったので、田舎でのんびりとスローライフだのというインチキなキャッチが出始めたころだったのです。
それくらい田舎暮らしはマイナー的な存在だったというわけです。
しかし、実は当時から、自然回帰やまやかしのスローライフが一部のマスコミなどで喧伝されていたことで、マイナーながらも、地方移住は水面下で繰り広げられていたのでした。
そこから田舎暮らしの話題が本格化して行ったのは、今から9年前に東京への一極集中を打開するための政策として、当時の安倍内閣が提唱した地方創生事業が本格化してからのことなのです。
田舎は横文字言葉は一切理解されない
ということで、私が田舎周りを実行していた当初は田舎に対する認識不足もあり、思い描いていたことのギャップに戸惑う連続だったのでした。
見ると聞くでは大違いの連続、田舎の地で自由気ままなスローライフなんてトンデモナイ話。
早い話が田舎を1,2回覗いただけで田舎はそんな甘いところではないと認識させられたからです。
それこそ、本格田舎の集落で遊び心の生活なんて言ったら張り倒されるということです。
本格田舎は勿論のこと中堅規模の田舎で、自己主張を持ち込んだら、キサマは我が土地を舐めているのかと即刻、村八分どころか袋叩きの目に会うでしょうね。
何より田舎は閉鎖社会なので輪を重視するということです。
その輪の中心は、その地に根付く伝統であり生活習慣なのです。
そんなところに都会や西洋で生まれた斬新な思想を定着させようなどは言語道断の話しとなるわけです。
なにより、移住者は最下層の末端に組み込まれてしまうからです。
そう、田舎のカーストの正体が見えてきたのです。
この続きは明日に……。
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