ドキュメンタリーやノンフィクションもヤラセのオンパレード
テレビマスコミは、散々情報操作を加え続けて平気で嘘を垂れ流してきたのです。
このどうしようもない彼らのクセは公平、平等を原則とするジャーナリズムの真髄である報道ニュースにまで蔓延してしまい、キリトリや情報の操作が定番化してしまったのです。
こうなると、日常の情報番組などでは、もはや歯止めが利かなくなるので、すべてが作り物だらけとなるのです。
第一、そんな連中が作り上げたものに真実などある筈も無いのです。
テレビはすべてシナリオありき
そうなると、テレビが作り上げるドキュメンタリーやノンフィクションなどの類もヤラセのオンパレードとなるのです。
そもそも、ドキュメンタリーやノンフィクションは主観の無い事実の描写が基本なのです。
田舎暮らしや自給自足生活の実情は、こうしたドキュメンタリーやノンフィクションタッチで放送されることも多いのですが、本来、ドキュメンタリーやノンフィクションタッチにすると、年がら年中撮れるものでは無いのです。
ドキュメンタリーやノンフィクションタッチは、企画ものと違って、演出、仕込みも無い世界なので中身の動かしがきかない分、シナリオが整った物語より、数倍手間と日数がかかるからです。
だから、本気で手掛けたら絵にならない部分が多すぎてしまい、編集にも手間が掛かるので、下手すると日の目を見るのは、せいぜい10件に1本、後はボツになる可能性もあるくらいなのです。
それくらい、ど素人の生活者をドキュメンタリータッチで画くには、余程の被写体で無い限り、演出を加えていかないと成り立たないということです。
でも、裏技を使えば、逆に言うといくらでも作り上げることも出来てしまうのがドキュメンタリーやノンフィクションタッチの番組なのです。
裏技とはそのものズバリヤラセのこと、所々に演出を加え、それを指導して、思惑通りに仕上げていくという手法です。
出演者もど素人だし、ギャラも小遣いに毛が生えた程度で済み現場設定費もかからないので格安で仕上げることが出来てしまうからです。
マスコミのやること、テレビのやることは殆ど演出だということを前提として見ないといけない、あんなものが自然の流れであるはずがないのです。
しかしながら、視聴者からするとドキュメンタリーやノンフィクションとなると、ウソはないし、映しかたも自然な感じがしたのでついつい見てしまうというわけです。
結局、多くの視聴者は、ノンフィクションのタイトルに誤魔化されて、これだけは真面目にやっている番組だと勝手に思い込んでいただけに過ぎないのです。
視聴者にとっては、大した内容でもないが、これだけはウソも無いから安心して見ていられるという心理が働いたわけです。
その心理は、したたかなテレビ連中もしっかりと読んでいるのです。
だから、ノンフィクション、ドキュメンタリーといえば、それなりの数字は取れるという思惑がミエミエです。
要は、計算づくのこと、視聴者は、こいつらに弄ばされているということです。
私は、テレビ番組で取り上げられていた何人かの方を訪ねたことがあるのです。
テレビ屋から企画を持ち込まれた際は、良いこと尽くめの話だったのが、出来上がりを見たら、肝心な所はカットされ、まったく別な話にすり替わっていて期待は大きく裏切られたというのです。
いざ撮影が進行したら素人は意を挟めないし、彼らのレシピによって完全調理され、まったく別なものが出来上がってくるというわけです。
こうして、余りのノー天気な放送ぶりが祟って、地元から大顰蹙を買い、いたたまれなくなって、その地から脱出を敢行した人もいるくらいなのです。
田舎暮らし一つとっても、テレビマスコミの罪は重いのです。
それでは、明日は日本のテレビマスコミの体たらくぶりを別な視点で語ってまいります。
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