セルビアの選挙結果と忘れ去られていたユーゴでの多文化共生の過ち
とうとうヨーロッパ諸国で巻き起こった抗議活動の嵐はセルビアという国で政権をひっくり返す事態へと発展してしまった
しかし、ここで私が言いたいのはそれではなく、セルビアの本元であったユーゴスラヴィアで実践された多文化共生での断末魔なのです

どうやらフランスで始まった大暴動はヨーロッパ中に影響を及ぼしているようです。
今度は、バルカン半島のセルビアという国で、政府の汚職疑惑に端を発して激化していた抗議活動によって、現政権が倒れてしまい民主政権が誕生してしまったのです。
セルビアといえば、民族、宗教の違いの中で、多様な文化・価値観を理解することの難しさを心底体現した国でもあるのです。
ということで今回は、若者による抗議活動から民主化が達成されたセルビアの実情を述べて行くと共に、人種の違い、宗教の違いという多文化共生の過ちから民族間の凄惨な殺戮と化したユーゴスラヴィアの教訓をベースにして、いつも通りの雑学タッチとオチャラケを交えて雑学でユーゴスラヴィアで巻き起こった多文化共生の難しさを紐解いてまいります。
(※この記事は過去にユーゴ紛争の実態を記した一部を抜粋してアレンジした内容です。)
学生が主導した「学生リスト」が政権を倒す
フランスに続いてセルビア全土に広がっていた若者を中心とした抗議活動は、選挙に重大な結果をもたらせたことで、与党のセルビア進歩党アレクサンドル・ヴチッチ政権の土台を揺るがしてしまい、14年ぶりに政権の交代が確実となったのです。
ただセルビアの場合は、フランスなどの抗議活動とはちょっと違って、中国ベッタリの与党の汚職が基で巻き起こった騒動なのです。
まあ、セルビアと聞いても、日本ではなじみの薄い国なのでピンときませんよね。
セルビアとは、バルカン半島に位置する人口690万人あまりの都市国家で国土は日本の北海道ほどの大きさの国なのですが、ユーゴ紛争以来、世界中に火種を撒いてきた国でもあるので、常に注視されてきた国の一つなのです。
セルビアは、政府の汚職疑惑に対する国民の不満が高まったことで、連日の抗議活動が続いてきたのです。
これによって、セルビアは、学生が主導した中道勢力である「学生リスト」が政権を担うことになるというわけです。
それにしても「学生リスト」は、政治経験のない大衆で構成されていることで、明確なリーダーが存在しない状態なのです。
そんな「学生リスト」が政権を担うといっても、そもそもセルビアという国はそんなに甘い国ではないことは誰もが知るところなので、冷ややかに見る向きもあることは確かです。
しかしながら、ここに少しでも光をさし、前を向かせたことは真摯に評価すべきことではないでしょうか。
海がなくなった国の困苦
スラブ系であるセルビア人はロシア人に近い民族で、セルビア正教を宗教の理念とする民族なのです。
このセルビアの場合、かつての同盟であったクロアチアなどがEUに加盟し、益々溝をあけられるという危機感が募っているのです。
セルビアは内陸国家なので海はありません。
ユーゴ時代はアドリア海ルートの交易もあり、流通は栄えていましたが、アドリア海に面したクロアチアに独立されてそのルートを閉ざされてしまったわけです。
海の交易をなくしたセルビアの場合、一時は苦境に立たされていましたが今は持ち直している状況なのです。
ブチッチ政権は、親ロシア、親中国路線で突っ走って来た政権ですが、学生リストは外交チャンネルを持ち合わせてはいない政党なので、その辺が気がかりなのです。
激しい民族抗争が起こったユーゴ紛争では多くの自治州が分離独立を果たしておりますが、ユーゴの中心を担っていたセルビアの場合は、国内にコソボの問題を抱えていることで、未だに混乱が続いているのです。
「学生リスト」の政党名と聞いて勘違いをしてしまうのは、実は学生リストの立候補者には学生は一人も存在しないのです。
学生リストの立候補者は、政治家ではない、医師だったり、大学教授、裁判官、著名なスポーツ選手が名を連ねているのです。
いや、ちょっと紛らわしいですよね。
グローバリストはユーゴの過ちを黙殺した
それではここからは、人種が違う、宗教が違う民族との共有が如何に至難の業であるかをユーゴで巻き起こった民族間のジェノサイドを知ることで、多文化共生がまやかしである証しを超簡単に紐解いて行きます。
ユーゴスラヴィアで起きた人種・宗教のアイデンティティーからくる民族の対立は、空前絶後のジェノサイドとなり、血で血を洗う大殺戮へと発展してしまったのです。
余りに激しい報復合戦を繰り広げたので、何があろうと互いに相手の言葉など信用できない、もう歩み寄りなどあり得ないというくらいの状況なので、信頼関係の構築など絶望的といえる関係なわけです。
このことは、近代社会が築き上げられた以降の話で、ヨーロッパのリベラルたちは歴史の教訓を学ぼうとはせず、ユーゴでの失敗は脳裏から外れていたのです。
ユーゴで起きたジェノサイドの断末魔、これこそは多文化共生の悲劇と言ってもいいのかも知れません。
独裁者が亡くなって一気にタガが外れる
ユーゴスラヴィアという国は、今でいう多文化共生を導入し、そのまま実践をした多民族・他宗教を統合した人口国家なのです。
ユーゴスラヴィアは、セルビア、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、マケドニア、モンテネグロという共和国の連合体の国家なのです。
ユーゴスラヴィアは、五つの民族、四つの言語、三つの宗教が混在するモザイク国家として、それぞれの民族が平和に暮らす理想の国家とされてきたのです。
そのユーゴスラヴィアといえば、1984年の2月に開かれたサラエボ冬季オリンピックが開催されたことで、日本でもそれなりに知名度があり、先進的な国家とされてきたのです。
しかし、それはとんだ食わせ物の話で、常に民族間はギスギスした状態だったのです。
結局、民族紛争は時間の問題だった、チトーというカリスマの指導者が亡くなると同時に民族間による争いが勃発してしまいユーゴスラヴィアは一気に分裂状態となり、民族間の凄惨な内戦状態となってしまったからです。
人種・宗教の違いは必要以上に根が深い
このユーゴの場合、長年、多文化共生社会の下で、異民族、異宗教の国民が平和に共存して社会を築き上げてきたとされていたのです。
しかし、国家としてのタガが外れた時には、民族の違い、宗教の違いが一気に噴出してしまい、それは瞬く間に憎悪として発展して行くのでした。
ユーゴの争いは、宗教と文化、言語などの違いが挙げられるのですが、多文化共生社会とは何かをきっかけにもろくも崩れ去るということなのです。
やはり、人種・民族・宗教に関する問題は根が深いのです。
多文化共生の難しさ、やはり争いの火種は民族の違い、宗教問題からくることで、ムスリムたちへの差別や格差を生み出し、経済的な問題も引き起こすのです。
そうしたことで、隣同士に仲よく住んでいたセルビア人とクロアチア人がある日を境にして、殺し合いを始めるようになってしまったのです。
その後、民族間の対立は激化を辿り、やられたらやり返すが繰り広げられ、挙句の果てには、民族浄化というジェノサイドへと発展して行くのでした。
ユーゴスラヴィアの内紛を見てみると、民族の融和や宗教観の共鳴というのはあり得ないのだなとつくづく感じることです。
ユーゴスラヴィアが実行した多文化共生の壮大な計画は、結果的に多様性には一切結びつかず、血で血を洗う民族間の軋轢と宗教紛争を招いてしまったのです。
ユーゴの場合は、民族間といっても白人同士の諍いなのです。
しかし、ヨーロッパの多文化共生は、アフリカ系や中東系などの肌の色の違う民族間との共有を目指していることで、更に軋轢が増してくると予測されるのです。
ユーゴスラヴィアの悪夢に学べ、日本は単一民族の国なので、日本人は多文化共生を甘く見てはならないのです。
忍者ライターの久保誠が「デュラルライフ」「田舎暮らし」「シニアライフ」「スローライフ」「海外ロングステイ」の情報と「雑学のすすめ」を主題として、ソフトタッチに日々の出来事、経済、国際情勢、政治、芸能、歴史のウンチクなどを語ってまいります。





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