スーチー氏は左翼人権屋とメディアの卑劣な非難が基で軟禁された
軟禁状態となって安否が心配されていたスーチー女史の下にイギリスのチャールズ国王から書簡が届いたというニュースが入って来た

※時間設定を間違えてしまいました
イギリスのチャールズ国王からミャンマーのスーチー女史に書簡が届いたと、久々にスーチー女史の存在が世界中に取り上げられたのです。
スーチー女史に関しては、軍政府からの軟禁状態に置かれていることで、とにかく日本には断片的な内容しか伝わってこないので気がかりでならなかったのです。
その写真を見る限りでは、スーチーさんの表情はとても穏やかそうに見えるのですが、歯医者にも行かせてもらえないと聞くと、怪訝の目で見てしまうところもあるわけです。
軍政府が今回の映像の公開に踏み切った経緯は、軍政権の国際的な信用を高める意図とスーチー女史が率いた政党であるNLDの完全崩壊を見据えたことで公開に踏み切ったと思われるのです。
ということで今回は、何故、ミャンマーとスーチー女史はこんな事態を招いてしまったのかを、ニワカ知識を持つ私がいつも通りの雑学タッチとオチャラケを交えて、簡単にその経緯などを解説すると同時に、スーチー女史を奈落に堕とすきっかけを作った汚い左翼の人権団体と左翼メディアの一方的な主張に対しても異を唱えてまいります。
ミャンマーは最後のフロンティア
ミャンマーという国は東南アジアの中でも最後のフロンティアと言われてきた国です。
そのミャンマーにカリスマ指導者のスーチー女史が自由を掲げて登場したわけです。
私の場合、ミャンマーには観光目的とロングステイの視察を兼ねてヤンゴンやマンダレーの街を中心として何度か入国をしているのですが、そこで出会ったミャンマー人の人柄を話すと、正真正銘ミャンマーの人達は純粋なのです。
それは少し前までは鎖国の国だったという背景もあり、ミャンマー人は日本の江戸時代と同じで人がスレていないので、ベトナムやインドネシアなどと違い商売っ気もなく、金、金とギスギスしていないことで優しくて寛容なのです。
しかし残念ながら、受け入れ態勢が全く整っていないのでロングステイには不向きでしたが、ここだったらスローな生活が送れるだろうなと実感したものです。
そうしたことで、これからのミャンマーは、スーチー政権の主導の基で多くの外国資本が参入すると思われていたことで、世界中から期待感が集まっていたのです。
だが、それは軍によるクーデターの勃発で叶わぬ夢となってしまったのでした。
まさかのスーチー女史の逮捕軟禁
私がとても残念に思うのは、左翼の人権団体や左翼メディアが大騒ぎしなかったら、ここまでの最悪なケースにはならなった筈だと思うからです。
それではどうしてスーチー女史が失脚するに至ったかを簡略化して述べてまいります。
そのきっかけは、今、日本を騒がせているICC(国際刑事裁判所)と瓜二つの組織であるICJ(国際司法裁判所)に、アフリカ西部のイスラム教国であるガンビアという国がミャンマーを相手取り、ロヒンギャ問題を訴えたことから始まったのです。
これで国際世論が大騒ぎとなり、ミャンマー国家元首代行であるスーチーさんへの徹底糾弾が始まったのでした。
ロヒンギャ問題を問う、国際司法裁判所での質疑でスーチーさんの優柔不断な態度に、ロヒンギャに与する左翼の人権派やメディアが一斉にスーチー女史に噛みついたのでした。
ここからはご承知の通り、平和の使者と喧伝されてきたスーチーさんは食わせ物と世界中から袋叩きとなってしまったのです。
スーチーはパンドラの箱を開けてしまった
実は、スーチー率いるNLD政権の実態は、哀れな骨抜き政権なので、軍が主導をしていたロヒンギャ問題に強権を発動する術も持ち合わせてはいないのです。
それは、政権を取って民主化したとはいえ、軍政時代の強固な法律が生き続けているという、ミャンマー独自の特異な事情があって、軍も内務省そして警察も独立したままの組織なので、連携もできてはいないからです。
早い話がスーチーさんには軍も警察も動かす権力はまるでない状態なのです。
ということで、ロヒンギャに与する左翼から見ると、優柔不断というが、それは彼女が出来る精一杯の対処だったというわけです。
そうした中でも、国際社会では左翼の人権団体とメディアの大騒ぎでスーチーの失望は止まらない状態となったのです。
しかし、スーチー率いるNLDは、まだまだ体制固めの段階なので、軍と対峙するほどの力はまるでなかったのです。
こうして、追い詰められたスーチーさんは、選挙での勝利をきっかけに、タブーであった軍を掌握する為の法改正の動きに出たわけです。
そうなったら軍は黙っていないことは当然のことです。
一気のクーデターでNLDを粉砕
そして軍は軍で、スーチーさんが国際社会からの絶大的な支持を受けている間は、世界を敵に回すことになるので、強硬手段には出れないジレンマがあったのです。
それが、ここに来てのスーチー人気の凋落ぶりを見とどけ、議会開催というタイミングを見計らって、一気にクーデターを決行したのでした。
ということは、左翼の人権団体やメディアと国際世論が、スーチーさんを執拗なまでに追い詰め過ぎたことで、起きた事件とも思えるのです。
実は、ミャンマー人はロヒンギャ人のことをメチャクチャ嫌っているので、スーチーさんが下手にロヒンギャ人に肩入れをしてしまったら、これまた大変なことになるのです。
そのロヒンギャたちは、ミャンマーに住みながらも、自分たちはミャンマー人とは思っていなくてミャンマー語もしゃべらないのです。
なので、スーチーさんが取った対応はミャンマー人からすれば想定内のことなのです。
そうした国内事情や歴史的な背景を無視して騒ぎ立てる左翼の人権団体やメディアの対応も酷過ぎと思うのです。
全ては白人国家のアジア人軽視のせい
ミャンマー人とロヒンギャ人の対立は何故ここまで過激なのでしょうか。
確かにあのロヒンギャの方々の悲惨な状況を見せられては誰もがミャンマー政府を非難せざるを得ないし、ましてや、事実上の国家元首が平和を唱えてカリスマとなったノーベル平和賞のスーチーさんでは、失望と幻滅でしかないので、スーチーさんへの非難は逃れられないのは判るのです。
だが、これもロヒンギャの過激組織との激しい争いの葛藤があることで、本来はミャンマー軍を一方的に非難は出来ないのです。
しかしながら何故、こうなったのかのプロセスとスーチーさんの弱い立場を完全に無視して、現状の成り行きだけですべてを断罪するでは、余りにもフェアでないし、これではメディアとしての職責も果たしていないのでは?と思ってしまうわけです。
何故こうなったのかは、すべては、白人たちがアジア人を軽視した諸悪の根源からくるものだからです。
大多数のミャンマー人を最下層にして抑圧
宗主国であったイギリスは、現在のミャンマー(ビルマ)を体よく植民地化するにあたって、大多数であるミャンマー人の抵抗を防ぐ為に多くのベンガル人を入植させたのです。
そのやり口はいつものパターン、大多数のミャンマー人を農奴という一番低い地位に落とし、代わりに移住してきたベンガル人や山岳民族を優遇して政治や経済、警察などの職に就かせ、対立を誘うようミャンマー族を抑圧したのでした。
この影響は今も続いていて、ミャンマーの独立後も20以上の少数民族が各地で蜂起し、ロヒンギャだけでなくカレン族やカチン族との泥沼の対立が続くこととなるのです。
なんでここまでの対立が続くのかは、そこに眠る豊富な資源やヒスイなどの利権が一番のことですが、イギリスの植民地化以降は、70年近く彼らが統治していたという誇りもある、また、身分の低かったミャンマー族には渡したくないという抵抗もあるのです。
こうして、イギリスが作り上げた悪しきカーストは完全に根付いてしまったわけです。
こうしてロヒンギャたちは、ミャンマー語を拒否してしゃべらない。
それは身分の低いミャンマー人などに従えないというプライドで、これはイギリスが作り上げた身分が影響を及ぼしているのです。
ミャンマー人からすれば、イギリスがロヒンギャ人をミャンマーの土地に勝手に住まわせて、ミャンマー人を蔑み出したということなのです。
ミャンマーの部族間のすべての対立を意図的に作りあげたのは、イギリスの仕業なのです。
そんなことは、メディアも人権派も知らない筈は無い、なのに何故、スーチーさんだけを非難できるのでしょうか。
スーチーさんは、今年81歳と高齢なので、もう復権は100%ないと言っていいでしょう。
NLDもカリスマスーチーあっての政党なので、もう復活することはあり得ません。
今のミャンマーの軍政は、東南アジアでも一流の軍隊組織を抱えていて、経済面でも軍の内部にミャンマーホールディングという強固なカンパニー組織があることで、軍政が揺らぐことはないのです。
左翼人権屋のお陰で、結果はスーチー女史は拘束状態でNLDの幹部は処刑、投獄され、ロヒンギャ問題はまったく進展をしないばかりか、彼らの生活もどんどん悪くなる一方なのです。
残念だが、スーチーさんは、チャールズ国王の計らいで息子さんが住むイギリスに亡命して残りの余生を送ってほしいと願うばかりです。
忍者ライターの久保誠が「デュラルライフ」「田舎暮らし」「シニアライフ」「スローライフ」「海外ロングステイ」の情報と「雑学のすすめ」を主題として、ソフトタッチに日々の出来事、経済、国際情勢、政治、芸能、歴史のウンチクなどを語ってまいります。




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