ロングステイから見たデュラルライフそして田舎暮らし
それでは今日からデュラルライフや田舎暮らし、そしてシニアライフに大いに共通するロングステイの話題をシリーズとして数回にわたって紹介してまいります。
先ずは、この回のロングステイのあらましからから始め、明日より6回にわたって忍者ライターの取材日記としてロングステイをリタイアしたご夫婦の衝撃の葛藤模様を紹介します。
そして更には幻となったロングステイの実態を検証してまいります。
そもそも私が二拠点生活のデュラルライフや田舎暮らしに興味を持つきっかけとなったのは、ロングステイ熱から発して行ったものだったのでした。
ということで、今回は私のプチロングステイ経験を基に、当時を振り返りながら、デュラルライフや田舎暮らしと何かと共通点が多いロングステイのあらましなどを簡単判りやすく解説してまいります。
ロングステイとデュラルライフや田舎暮らしは共通点がとても多い
ロングステイとデュラルライフや田舎暮らしは、幸せを育む棲家を求めて移住するということで探訪観とロマンも含めて同一視出来るほどの似た者同士、違いと言えば海外と田舎の違いなのです。
そしてロングステイの場合はリタイア後の年寄りを対象としたところが違うだけなのです。
特に似ていることは⁈⁈
殆どの人は思惑外れで現地に行ったらミスマッチばかりという結末、これって、田舎暮らしの風潮とそっくりだったのです。
このロングステイの招致は、今から約20年前に夢の世界へようこそと銘打って、高齢者を中心としたリタイア層など年金受給者を対象に華々しく始まったのでした。
ロングステイとは、一年中常夏の地である南国のオアシスを終の棲家にするという、日本脱出の移住計画なのです。
このロングステイ計画は、年金だけで海外生活が悠々自適に送れるという触れ込みから始まり、このキャッチの魅力に引き寄せられて多くの方が日本脱出を実行に移して終の棲家の夢を抱いて移住して行ったのです。
当時の日本は、国力も今ほど衰えてはいなかったし、何より円高傾向のままであったので、海外投資やロングステイはそれなりに魅力的存在ではあったのです。
だが、このロングステイも結局、しおれたままに終焉を迎えてしまったのです。
ロングステイは相場の崩壊でバブルと消えてしまった
今にして思うと、このロングステイというのも国やマスコミ、そして業者のまやかしが酷かったのです。
当時の触れ込みは、物価の安い東南アジアに居住すれば年金15万円の収入でプール付きの豪華マンションに住め、メイドも雇えるという夢の生活が実現可能というものだったのです。
当時の東南アジアでは、5万円の家賃でプール付きのマンションが借りられたというわけです。
しかしながら、ロングステイともなれば、相手国の受け入れが無ければ成り立たない世界なので、外国人が勝手な都合で住み着くなどは所詮、無茶な話なのです。
結局、このロングステイ計画も無理があったということです。
というのも、ロングステイは小金投資のごまかしの強欲の極みと捉われしまい、冷ややかな目線を向けられていたからです。
今の田舎暮らしの移住計画は、国やマスコミのまやかし報道や地方行政の怠慢と田舎者の底意地の悪さが露呈してミスマッチだらけとなってしまったのです。
そして、当時のロングステイも同じくマスコミのまやかし報道と業者のインチキ招致、そして受け入れ国との思惑が合致しないことや円の急落等々でミスマッチだらけとなって行ったのです。
実際、行動してみたらロングステイを敢行する国の裾野は広くなかったのでした。
マスコミが大騒ぎをする割には受け入れ側の国との思惑は合致していないものだったからです。
それはそうでしょう、富裕層ならともかく年金リタイア層では小金を落とす程度でしかない、こんなレベルの話で受け入れを整えようとする余裕の国は東南アジアでは極々限られてしまうのです。
結局、日本人のロングステイを受け入れてくれる国家は、移住促進を国策事業として展開していた、タイ、フィリピン、マレーシアの三国に行きつくのでした。
今日はここまでとさせて頂きます。
それでは明日からは、私の忍者ライターの取材日記。6回にわたり当時のロングステイをリタイアしたご夫婦の実話を紹介してまいります。
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