憧れが一転、今や軽蔑の象徴「オールドメディア」
昔は崇高で憧れの的であったジャーナリズムの世界、それこそ新聞記者やテレビ解説者の存在などは、私たち一般人にとって敷居が高すぎて近寄り難いほどの存在だったのです。
そんな理想のエリート集団が今や見る影もなく、落ちぶれてしまったのでした。
まさかここまで、メッキが剥がれてしまうとは、ご当人たちでさえ考えもしなかったことでしょう。
それは、何度も言う通り、白馬の騎士(インターネット)の登場によって、エリート集団と思われていたジャーナリズムの正体が暴かれてしまったからでした。
日本のジャーナリズムは学校教育が作り上げた偽りの存在
こうしてオールドメディアは、エリート一転、ウソつき騙し討ちの卑しい存在という軽蔑の象徴と化してしまったのです。
それこそ、今まで騙されて彼らをチヤホヤしてきたことに怒りを覚えるほどです。
今にして思うのは、ジャーナリズムや文筆業という存在には明確な資格などは存在しないのに、何故彼らはここまで過剰に持ち上げられてきたのかという疑問。
それこそは、文業と一体化する学校教育のマインドコントロールなのです。
日本の学校教育が文筆業という彼らの幻想を過剰に演出していたところがあるからです。
しかし、ネットの前身であるワープロの出現によって一気に状況は様変わりしてしまい、漢字の変換から翻訳までも瞬時でこなせてしまうのです。
こうして、知的業から一気に極一般の職務へと変貌してしまったというわけです。
これは電卓の出現によって無用になってしまったソロバンなどと同じです。
ソロバン人間と化した新聞屋などの編集稼業、こうなってしまっては、もはや彼らが優越に浸るものは何も無いのです。
物書きはただでさえ薄給なのに、原稿料は半値以下に急落してしまい、ライター業では食べて行けない状況となってしまったのです。
オールドメディアは国民の視点からズレまくっている
前回取り上げた「オールドメディアとSNSとの情報の格差が恐ろしいほど開いている」というもっともな指摘。
これが明白となったのは、日本のオールドメディアの相も変わらずのトランプバッシング一辺倒の報道ぶりと、SNSなどで発信される一般大衆の意見の余りの落差ぶりなのです。
今やソーシャルメディアの登場によって、誰もがジャーナリズムの世界に入れる時代となったのです。
こうして、オールドメディアの陳腐な情報がアマチュア情報と比較されてしまう世の中となったわけです。
これで判るように、もはやオールドメディアの存在は国民の情報視点からズレまくっているのです。
もうこの期に及んで、オールドメディアは、ジャーナリズムに無知なバカがネットで勝手に騒いでいるなどと茶化すのはやめた方がいい、申し訳ないが、オールドメディアよりもネット情報の方が余程真っ当な意見が多いからです。
日本のオールドメディアは、アメリカのリベラルメディアからの情報を切り取ってきたものを伝えるだけのもの、対して、SNSの情報は、BBCなどを中心にアメリカやヨーロッパなどの報道を集約した知識を述べているので、同じ受け売りでもアマチュアジャーナリストの情報の信憑性が数段上なのです。
それにしても日本のオールドメディアは、リベラルメディアの受け売りばかり、あれだけ大挙して海外の各地に駐在する特派員とやらは、一体どこで誰に取材を敢行しているのやら。
いやはや、何とも情けない話、これでは報道機関の看板は完全に取り外した方がいい。
紙が無くなったら媒体としてのブランドなど消えて無くなるし、同じく、電波が自由化されたら特権身分もはく奪されるので、エリートなどは存在しないのです。
テレビは、「そうだったのか」で世の中に無知な人だけを集めて伝授するのが一番合っているのです。
でも「そうだったのか」で大嘘を教えるのはいい加減、謹んで貰いたいものです。
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