地方のクルマ社会はここ5年で更に深刻度が増している
今日も昨日に続き、地方のクルマ社会の悪しき歪みに触れてまいります。
今の地方のクルマ依存は、学校が一気に統廃合され、そしてドーナツ化現象が更に進み、そこから完全な郊外型ショッピング生活となってしまったことで、ここ5年の間で更にクルマ依存の深刻度が増しているのです。
学校が一気に統廃合されたのでは、「自然な田舎で子供を伸び伸びと育てたい」などのノスタルジーは吹っ飛んでしまったのです。
それを知らないで、田舎に移住などしたらミステークの連続となってしまいます。
クルマはもはや地方の人にとってはなくてはならない必需品であり、最も重要なアイテムなので、クルマ命となるのは当然のことなのです。
田舎の場合、それだけクルマの存在は生活の全てというくらいに革新をもたらせたのです。
これは悪く言えば麻薬に相当するぐらいの依存症となってしまっているというわけです。
しかしながら、これは都会の人間にはまるで理解に及ばないものなのです。
都会と地方の単純な違い、それは都会の場合は常に便利が身近にあるので、クルマを必要としないが、地方は便利が身近に無いので、クルマを必要とするからです。
そう、いくら不便な田舎であってもクルマさえあれば便利に手が届くことが出来るので、取り敢えずは困らないというわけです。
これでお判りの通り、クルマこそは、何もない田舎にとって、生活をガラリと変え、生活を一気に向上させた究極の革新テクノロジーなのです。
でもねえ、ここまでのクルマ命の依存は、チョット変だし、異常なものですよね。
だって、クルマ命といっても、クルマを持たない人たちも生活しているからです。
それこそは今、話題となっている移動弱者の高齢者や子供たちなのです。
とにかく、田舎の人はクルマに頼り過ぎているので、歩くこともしなくなってしまったからです。
そもそも都会人が地方や田舎の人を見る目は、自給自足などの耐乏生活を生き抜いて来たという我慢や忍耐、逞しさのイメージが強かったのです。
それが、クルマによって歩かない人たちになってしまったというわけです。
歩かないのは、お金持ちか怠け者の最たるものです。
こうしたクルマ頼りオンリーとなると機械仕掛けの生活となるので、結果的に国や都会に頼ることになるのです。
人間というものは、機械や物に依存し過ぎると、頭の思考が麻痺してしまうので、革新性は薄れてしまうからです。
こうして、クルマ社会となった地方は、自分たちでは再生は不可能とさじを投げ、地方創生で国からの援助の期待頼みの風習が常態化してしまったのです。
都会人と地方人のクルマに対するギャップは天と地の差といえるくらい隔たりがあるのです。
これから田舎に移住を考える方や地方でビジネスの計画を立てている方々は、今の田舎のクルマ依存の実態を知っておかないと手痛いしっぺ返しを食らってしまうということです。
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