世界中で大失敗、多文化共生のまやかしを日本人は知るべし
リベラルが主導したグローバリズムの多文化共生は、移民たちからも自分たちを利用するだけのお為ごかしとバレてしまっていたのです

移民・難民を受け入れて多文化共生の理想の社会を築き上げることをスローガンとしてきたグローバリズムの流れは怒涛の如く世界中で音を立てて崩れ去ろうとしているのです。
フランスの大暴動を見よ、そして国民が疲弊しきったイギリス、国が大きく衰退したドイツ、ギャングの国となったスウェーデン、薬中だらけのカナダ、ホームレスだらけとなったオーストラリア。
これが偽善をひけらかした多文化共生の成れの果てであり真実なのです。
これらの国は日本人にとって憧れであって理想の国だった筈です。
この事実を日本人も充分に認識しておかねばならないのです。
ということで今回は、完全に失敗に終わってしまった移民との多文化共生の理想社会を築くというグローバリズムのまやかし模様をいつも通りの雑学タッチとオチャラケを交えて、簡潔に糾弾してまいります。
ヨーロッパはもう元には戻らない
ヨーロッパ諸国は、もう元の状態には戻らない、多文化共生は一方の文化を受け入れただけで、自国の文化を破壊してしまったことで、ここまで破壊されてはもう無理なのです。
ヨーロッパの歴史ある建物は壊され、新しい建物が作られてくるがそれによって街の景観はガラリと変わってしまうのです。
こうして、文化は簡単に消すことが出来るが、文化を復活させることは容易ではないということです。
多文化共生を謡う社会構造は理想と現実のギャップがあまりに大きすぎたことで、無謀の極みとなり、まぼろしに終わったということなのです。
この、ヨーロッパで吹き荒れる反グローバリズム旋風の実態を日本のオールドマスゴミはしきりに隠そうとして、その事実すらも黙殺してきたのです。
しかし、メディアリテラシーを身に着けた現代人の場合は、マスコミの情報を飛び越えて、ソーシャルメディアを通じてヨーロッパの情報を習得していたのです。
こうしてグローバリズムの終焉はもう隠せない状況となったのです。
多文化共生はタダの綺麗事
多文化共生は大いなる間違い、イギリス、フランス、ドイツは、生活環境の秩序とモラルが激変してしまい、もう昔の先進的で哀愁漂うヨーロッパの面影は一切なくなったのです。
リベラルが主導した多文化共生は、結果的に相手の思想とイデオロギーを受け入れるだけだったことで、ヨーロッパの伝統あるキリスト教の価値観を台無しにしてしまい、国の文化をも破壊してしまったのです。
これに、イギリス、フランス、ドイツというヨーロッパを代表する国の国民が一斉に反グローバリズムを掲げて立ち上がったのです。
そう、リベラルが主導した多文化共生は完全に失敗に終わったのです。
結局、多文化共生は実態のない絵物語、特権身分のリベラルエスタブリッシュメントたちの綺麗事に過ぎなかったのです。
移民の宗教観をはき違えていた白人社会
多文化共生は何故、失敗に終わったのか、それは結局、双方の一番の価値観は、互いの文化の許容ではなく宗教観だったということです。
多文化共生とは、文化の違う民族同士が、互いを尊重しながら対等な立場で暮らすことが出来る社会を目指すことなのです。
しかし、この多文化共生の理想は、始めから空回りして全く噛み合うことがなかったのです。
ヨーロッパ人などの場合は、キリスト文化という宗教イコール歴史から芽生えた文化の価値観を持っているのです。
対して移民の殆どは、歴史からくる文化よりもイスラムの宗教を理念とした文化の価値観を持つのです。
こうなると、宗教の概念が全面的に絡んでくるので、生活の根本自体が相容れないものとなり、共生という互いを引き寄せる理念は完全に薄れてしまったのです。
そもそも、長い歴史と文化の礎を持つ国に、歴史が浅い国の移民を受け入れて多文化共生の社会を築こうという発想自体がナンセンスそのものなのです。
だって、移民の大多数は出来たばかりの歴史が浅い国の人たちなので、歴史や文化を奨励する精神は待ち合わせてはいないからです。
それは受け入れ側の国の国民も一緒で、歴史の浅い国から来た移民たちからは学ぶべきことが殆どないということなのです。
それで多文化共生の社会を築こうと願っても、つり合いが取れない状況となって行くのは当然のことです。
フランスを破壊したのは移民のフランス人
それにしてもフランスの暴動はどんどん過激さが増してしまい大変なことになって来た。
今回のデモの暴徒化によって、フランスの歴史的建造物であるリモージュ市庁舎が放火されて焼失してしまったのです。
フランスの文化がどんどん消されて行く、これはフランス人にとって噓のような悲しい現実なのです。
マクロン大統領は「どうしてフランス人がフランスにこんなことができるのか。正当化は一切できない」と非難したというのです。
う~ん、フランス人だったらフランスの文化の象徴に対して放火や破壊行為はあり得ない、だが、フランスの文化を理解出来ない移民のフランス人だったらあり得るのです。
フランスのデモの始まりは、高校生と教職員による教育現場の劣化に対する抗議のデモだったのです。
ところがこのデモが左翼分子と移民2世3世たちの暴動へと変質してしまったのです。
フランスという国は、そもそもデモや抗議活動は国家のお家芸と言われるほど多くて、市民のデモや労働組合のデモが頻繁に行われるのです。
だが、今回のデモの場合は、移民2世のギャングたちがデモに便乗して暴徒化してしまったことで、破壊活動や放火、そして商店の略奪行為にまで発展をしているのです。
平和な抗議活動が暴徒化する、これはまさしく多文化共生の失敗の成れの果てなのです。
暴力と破壊活動を主導する左翼
多文化共生を主導して来たグローバリストたちは、次の時代は、多文化共生の理想の社会が築かれている筈と喧伝してきたのです。
だが、次の若者の世代も多文化共生は叶わず、大荒れ状態となってしまったのです。
このフランスの暴動は、イタリアにも連鎖してしまい、イタリアのミラノでの生活費高騰に抗議するデモが暴徒化して店舗での略奪や器物の破壊行為を行ったことで、デモ隊と警察が激しい衝突を繰り返したのです。
このデモ隊の抗議活動はボローニャやトリノにも波及してしまったのです。
メローニ首相は「デモを行うことは権利だ。しかし、われわれの都市を荒廃させることは権利ではない」と投稿したのでした。
この暴動を裏で操っているのは、移民を奨励して来た左翼の陰謀でもあるのです。
ヨーロッパの左翼は、極右の相次ぐ台頭に脅威を感じて、活動家を動員したり、移民2世を担ぎ出して破壊活動を主導しているのです。
まやかしの多文化共生の成れの果て
それでは最後に多文化共生の間違いを端的に述べてエンディングとさせて頂きます。
そもそも、多文化共生の社会を築くには、双方が対等の立場であり、それ相応の歴史と文化を持ち、更には同等の知識を備えた民族同士でなければ共生は不可能なのです。
しかし、ヨーロッパ諸国で勧められたグローバリズムの多文化共生には、対等そのものが存在しなかったのです。
ヨーロッパ諸国は、移民を受け入れて多文化共生を謡ったのは、移民を自分たちの文化に吸収しようと試みたのです。
ところが自分たちは移民の文化を吸収しようとは、はなから思ってはいなかったというわけです。
この辺のグローバリズムのご都合主義のしたたかさが移民たちに見透かされてしまい、どんどん軋轢を生んでしまったのです。
また、移民たちを必要以上に優遇した寛容さも仇となってしまったのです。
移民たちには、これだけしてあげたのだから、我々に靡いてくれるであろうと考えたのは、大甘だった。
彼らには、物を貰っても恩を受けてもそれを快く返すという習慣やモラルは持ち合わせてはいないのです。
こうして、その結果、移民たちを白人社会の文化に吸収することは失敗し、モスクなどの宗教施設があちこちに建てられ、移民同士の数多くのコミュニティが作られて行ったのです。
そう、多文化共生どころか、ヨーロッパの国々の多くに移民たちの異質な文化が築き上げられただけだったのです。
日本はヨーロッパの轍を踏んではならない
多文化共生を推進したヨーロッパなどは、移民の受入で国の民度が著しく下がってしまい国家の大衰退を招いてしまったのです。
日本の場合は、外国人の受入に対しても性善説で受入れてしまうことで深く考えないところがあるのです。
その日本の平和ボケの隙をついて入り込んできたワルのクルド人やパキスタン人が我が物顔でコミュニティを形成したり、違法ヤードを作り上げているのが現実なのです。
日本が先ずやることは、こうした不良外国人を一刻も早く一掃しなくてはならないのです。
それには高市総理や小野田大臣に任せるなどは言語道断のこと、我々国民が一丸となって、不良外国人を支援する立憲、共産の日本破壊の工作員どもと戦わなくてはならないのです。
不良外国人や立憲、共産などに日本の文化を消されて堪るかよ!!!!
忍者ライターの久保誠が「デュラルライフ」「田舎暮らし」「シニアライフ」「スローライフ」「海外ロングステイ」の情報と「雑学のすすめ」を主題として、ソフトタッチに日々の出来事、経済、国際情勢、政治、芸能、歴史のウンチクなどを語ってまいります。




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