熊本県知事が報道陣に対してブチ切れた!
とうとう災害取材でもNOを突きつけられてしまったマスゴミの体たらく、それはそうでしょう、散々日本下げの情報を流し続けてきた日本のマスゴミは災害報道でもマトモな筈はない

熊本県の木村敬知事は、8月6日の定例記者会見の席で、報道陣による被災地での過剰な取材に対して怒りを露わにしたのでした。
県知事が報道陣に向かって、災害報道の姿勢を批判して諭すことなどは異例のことなので、SNS界隈では「よく言ってくれた」「スカッとした」という賞賛の声が上がっているのです。
災害だからといって、被災者の困窮の最中に土足で踏み込み、報道と称して過剰な取材を敢行するのは、もうほどほどにした方がいいということなのです。
ということで今回は、とうとう災害に見舞われた自治体の首長からも飛び出してしまったマスゴミの過剰な報道姿勢のあり方に迫り、そして、いつも通りの雑学タッチとオチャラケを交えて、土足で踏み込んで被災地を荒らしまわるマスゴミの悪の醜態を糾弾してまいります。
マスゴミの殺到は報道被害そのもの
いやー私が予測した通り、大地震に見舞われた熊本の被災地でもマスゴミの退場処分が下されてしまいましたね。
それはそうでしょう、これだけの数のマスゴミが被災地に殺到してしまえば、混乱に拍車を掛けてしまうことは当然のことです。
今回の木村知事の理論整然な毅然とした対処は、災害現場という公の場でマスゴミ陣にNOを突きつけたわけで、今後のあらゆる現場での取材対応にメチャクチャインパクトを与えることとなる筈です。
日本の新聞・テレビのオールドマスゴミは、とうとう地震の災害現場でも大顰蹙を買ってしまい、取材に行く先々で反感を買うという迷惑そのものとなり、歓迎をされないごく潰しの扱いをされるようになってしまったのです。
そう、今の熊本は、マスゴミの取材の殺到によって報道被害の様相を呈しているのです。
熊本県の木村敬知事は、報道と称する取材陣が被災に晒された遺族の元に押しかけて、無理やりインタビューを要求したり、多忙な自治体の職員を長時間拘束した上に被害実情の数字などを要求するという実態に釘を刺したのです。
木村敬知事は記者会見の席で「報道の方々にくれぐれもお願いしたいのは、ご遺族の方、被災者の方々、自治体の職員から報道に対する極めて強い不満、苦情が県や自治体に寄せられています。ご配慮のある報道をお願いします」と毅然とした面持ちで述べたのです。
その木村敬知事の表情は、報道陣に対しての怒りの表情が滲み出ていたのです。
SNSには、報道陣のクルマがコンビニで無断駐車をしている様相が映し出されていましたが、結果的にマスゴミ連は被災地を荒らしているわけです。
マニュアル化した取材対応にウンザリ
今回の熊本県の木村知事の発言の真意は、被災地で一番重要なことは、被災者の人命救助に当たる自衛隊や警察、消防、そして緊急医療チームの存在だということなのです。
ところが、マスゴミが殺到することで、これらの支援活動の障害となっている現実があるというわけです。
しかも、マスゴミは被災者の不幸に土足で踏み込むことに激しい憤りを感じているのです。
まあ、このマスゴミによる押しかけの過剰報道の話は私のブログでも散々危惧をしてきたことですが、これがまことしやかに表面化してきたのです。
災害時でのマスゴミのマニュアル化した取材や報道そのものが完全に一般大衆に見透かされてしまったことで、極度の拒否感を生み出してしまったのです。
結局、日本のマスゴミの取材対応は、何でもマニュアル化されているので、その軽薄なパターンが素人でも読み取れてしまうのです。
そのマニュアル化したマスゴミの取材対応は底が浅く深堀がないので、どれもワンパターンなのです。
被災地には、そんなマスゴミが大挙して訪れて、被災者たちに同じ質問を繰り返すので、いい加減うんざりとしてくるというわけです。
災害などでの死亡時の報道の殆どは、マスコミはあざとく予め質問事項を仕込んでいるのでお手のものなのです。
視聴率稼ぎがミエミエの被災報道
マスコミは事件事故などの悲惨な情景を報道するのは自分たちの使命、責務とばかりに躍起となって大騒ぎするのです。
要するに人の死に群がるのが大好きなハイエナ根性丸出しなので、悲惨な事故でも悲しみに暮れる近親者にインタビューをしたりして番組構成を作り上げるのです。
マスコミはこうして死者を売り物にして、お涙チョウダイのデモンストレーションで映像を作り上げているのです。
そもそも、テレビで流す映像は短くても、実際の取材現場では、何十倍ものカットした映像やインタビューなどを敢行しているので、現地での取材模様は煩雑を極めるのです。
そうなると、多忙な中でインタビューに協力しても、それが使用されなかったり、使用されても、言葉の殆どはカットやキリトリされたものが使われたりと、思惑違いの連続となるのです。
要するにテレビの取材などは、しつこいほど質問をされて聞いてくるのに、答えた殆どは使用されていないというのが現実なので、振り回されてお終いというわけなのです。
しかも、それを複数のマスゴミが同じパターンで繰り返すので、被災者たちの不信はどんどん大きくなってしまうのです。
視聴率を稼ぐ為に、被災で身内が亡くなった遺族や家を失った人たちを狙い撃ちにして取材を敢行するというテレビ屋の浅ましさにはもう閉口するだけなのです。
哀れなジャーナリズムの末路
かつて私たちは新聞やテレビなどのマスゴミを特別な存在と認識させられてきたのです。
こうして一般国民は新聞・テレビマスゴミを信じ込み疑うこともしなかったのです。
こうした構造がマスゴミの力と権限を絶大化させ、いくらでも情報操作や誘導が可能となる下地を作ってきたと思われます。
結局、こうしたことが積み重なってマスゴミの思い上がりは益々増大していき、マスゴミが言論を統制する完全支配構造が出来上がったのです。
国民は我々の言うことは鵜呑みにすると、マスゴミは完全に国民を馬鹿にして舐めきっていたわけです。
まあ、ネットが無い時代なので、我々国民は偏った情報を受け入れるしかなかったのです。それをいいことに益々国民を蔑ろにして暴走してきた。
ところが、とうとう災害現場でも無用となった哀れなジャーナリズムの末路。
いくら真面目な顔して悲壮漂う災害の模様を演出しても、CMだらけのあとに、おふざけ番組や繁盛店のリポートでは、バカにされているのではと興ざめしてくるのです。
結局、日本のマスゴミは国民を散々誑かせてきたことがアダとなってしまい、何をやっても見透かされてしまうのです。
真のジャーナリズムは、ソーシャルメディアへと変わるのです。
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忍者ライターの久保誠が「デュラルライフ」「田舎暮らし」「シニアライフ」「スローライフ」「海外ロングステイ」の情報と「雑学のすすめ」を主題として、ソフトタッチに日々の出来事、経済、国際情勢、政治、芸能、歴史のウンチクなどを語ってまいります。





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