日本の誇りである日系のフジモリ大統領が帰ってくる
ケイコ・フジモリ氏の大統領就任で、日系人が親子二代にわたってペルーの大統領となるという最高の栄誉が実現

4度目の挑戦で、故フジモリ元大統領の長女であるケイコ・フジモリ氏がとうとうペルーの大統領に就任することが決まったようなのです。
いやー、日系の方が他国で国家元首となるなど日本人の誇りそのものですよね。
ケイコ・フジモリ氏の場合、過去の大統領選でも一番人気でありながらも、今迄は決選投票の場で毎度僅かな差で敗北してきたのです。
そうしたことで、今回もケイコ・フジモリ氏が劣勢と思われていたわけです。
ところが、決選投票での開票率99.98%の時点でフジモリ氏の得票率は50.12%で、対立候補のサンチェス氏は49.88%となったことで、ケイコ・フジモリ氏の勝利が確定したのでした。
ということで今回は、日系人として中南米の伝統あるペルーという国家で、親子二代にわたって国家元首の大統領への就任が決定したケイコ・フジモリ氏の政治手腕と父親である故フジモリ大統領のエピソードなどをいつも通りの雑学タッチで記してまいります。
ケイコ・フジモリの中南米右派共闘連合
ケイコ・フジモリ氏は、右派政党の「フエルサ・ポプラル」の党首ということで、高市総理との連携も楽しみになってきました。
ケイコ・フジモリ氏の場合、トランプ大統領の中南米政策と歩調を取った政策を提言していることで、経済政策の一環として中南米の右派政権との連携を強化しようと模索しているのです。
そうなると、父親のフジモリ元大統領と同じように日本との関係も再び密になって行く可能性が大きいわけです。
とにかく日本にとってメリットは鉱物資源の豊富なペルーとの貿易面での繋がりなのです。
ペルーは資源の宝庫なので、銀の生産量は世界一だし、その他にも様々な資源が眠っているのです。
今回の決選投票で争ったサンチェスという人物は中国べったりの人間なので、もしこの人物が勝っていたらと思うと恐ろしい話ですよね。
高市総理としては、ケイコ・フジモリ氏を足掛かりとして、中南米各国との連携を図るチャンスと言えるわけです。
ケイコ・フジモリ氏が掲げる自由市場を重視する経済対策は、ペルーの経済界も注目をしていることで、期待感は大きいのです。
ただ、ちょっと気掛かりなのが、ケイコ・フジモリ氏の「フエルサ・ポプラル」は第一党ではあるが、議会での過半数には及ばないので、政権を組むには連立で他党と連携をしなければならないというわけです。
まあ、そうなると「フエルサ・ポプラル」の独断が通るわけではないということなのです。
ケイコ・フジモリ氏は、現在、真っ二つに割れたペルーの融和を目指すと宣言していることで、中道左派との歩み寄りも図る考えなので、極端な右派の主張は控えざるを得ないことと考えられるのです。
中南米は右派政権ラッシュ
実は、日本では殆ど伝えられていないのですが、中南米では、トランプ大統領の影響力が拡大していて、右派政権ラッシュの状態となっているのです。
そう、とにかく、トランプ大統領のベネズエラへの侵攻によって、ここに来ての中南米の様相は大きく様変わりしているのです。
それは、トランプ大統領が掲げるドンロー主義によって、中南米諸国の国々で保守派の結束が高まってきたからです。
とにかく中南米での右派の台頭は凄まじい限りで、ボリビアでは保守派のペレイラ大統領が就任し、ホンジュラスではトランプ大統領が支持を表明したアスフラ大統領が当選し、チリではバリバリの右派であるアントニオカスト大統領が誕生しているのです。
そして、コロンビアでは、トランプ大統領が支持を表明していたデラエスプリエジャ氏が大統領選で勝利したことで、左派政権から一気に保守政権が誕生してしまったのです。
コロンビア国民は、左派よりアメリカについた方が得だと考えたのです。
アルゼンチンでは、トランプ二世といわれるミレイ大統領が相変わらず国民の支持を集めているのです。
中南米はそんな調子なので、左派政権は影響力のまるでないブラジルとメキシコくらいなので、この2国も右派に囲まれた状態となっているのです。
何故、中南米は右派だらけとなってしまったのかは、言わずと知れたこと、中南米の左派は麻薬依存と暴力が蔓延る世界、国民はそれに嫌気が差したのです。
ペルーのケイコ・フジモリ氏は、この右派連合で連携を深めて経済の活性化につなげようと模索しているのです。
フジモリ大統領は日系人の鏡
それではここからは故フジモリ大統領の誕生エピソードなどを簡単に記してまいります。
それにしても日系移民が親子二代にわたって一国の大統領に就任するなど奇跡の業としか言いようがありませんよね。
それもペルーという国は、奥深い歴史と伝統が育む3千200万人もの国民を有する一流国家なのです。
移民三世のケイコ・フジモリ氏の場合も、ペルー人とは違う東洋系の容姿から相当なハンディキャップがあったと思われます。
それをものともせずに跳ね返し、4度目の挑戦で、父親と同じ大統領の椅子に座ることが出来てしまったのです。
とにかく、ブラジルやペルーなどの南米に渡った日系人の苦労は涙なくして語れないというほど過酷なものだったのです。
そうした中で、故フジモリ元大統領は、貧しい中で、努力一辺倒の叩き上げで身を立て、大学教授としてペルーの学会の責任者となったのです。
そんなことで、フジモリ大統領の当初は政治とは無縁の学者だったのです。
しかし、ペルーの腐敗した政権に嫌気が差した国民から担ぎ出されて、新政党の党首となって大統領選に立候補したら、一気にフジモリ氏への期待が集まってしまい、まさかの大統領に登り詰めた人だったというわけです。
テロリストを一掃したフジモリ大統領の手腕
フジモリ大統領といえば、日本人の脳裏に深く刻まれているのは、ペルーの首都リマで起きた左翼ゲリラによるペルー日本大使館公邸占拠事件ですよね。
この1996年の12月17日の夜は、日本大使館公邸で、ペルーの要人を招いて天皇誕生日を祝う祝賀レセプションが盛大に開催されていたのですが、そのレセプションの日程が過激派集団に事前に察知されたことで襲撃を受け占拠されてしまったというわけです。
この占拠事件を巻き起こしたのは、左翼ゲリラのトゥパク・アマル革命運動(MRTA)という武装集団で、そのゲリラ隊員14名が日本大使館公邸を占拠したのです。
このペルー日本大使館公邸占拠事件では、左翼ゲリラ側の要求が収監されている仲間の釈放などの強硬なものだったことで、交渉が膠着状態となってしまったのです。
とにかく、日本の大使館での出来事だったこともあり多くの日本人が人質となっていたことで、日本のテレビマスコミも大使館周辺に張り付いて実況中継を行っていたのです。
そうした中で、フジモリ大統領は、虎視眈々と秘密裏に特殊部隊による大使館公邸内への武力突入計画を進めていたのでした。
そして、事件発生から127日が経った4月22日に、ペルー陸軍と海軍による特殊部隊の公邸への突入「チャビン・デ・ワンタル」作戦が始まり、この時点で大使館に拘束されていた人質72名のうち71名を救出することに成功したのです。
この人質救出大作戦は特殊部隊の突入の模様がテレビでも実況中継をされていたのです。
特殊部隊が公邸に突入をして制圧した際のフジモリ大統領の勇姿は凄かった。
国家元首が最前線の現場で自らここまでやるかというほど第一線で動き回っていたからです。
この救出大作戦の大成功の模様は世界中に発信されたのです。
これによって、フジモリ大統領の存在と威光は瞬く間に世界中に轟いたのでした。
しかしあれだけ功績を挙げたにも拘らず晩年のフジモリ大統領はとても不運なのでした。
フジモリ大統領は、テロを根絶する為に過激派の掃討作戦を展開して、ペルーから過激派どもを一掃してしまったのです。
しかし、この過激派一掃作戦が強引であると左派政党からやり玉に挙げられてしまい、晩年は左派からの執拗な攻撃で逮捕監禁され、ペルーの刑務所に収監されてしまったからです。
しかし娘のケイコ・フジモリ氏が大統領選で勝利したことで父親の屈辱を晴らしたのです。
高市総理とケイコ・フジモリ氏は日本人の宝。
敗戦によって、散々虐げられ屈辱を味わってきた日本人、もうそんな過去は忘れよう。
日本人はもっと誇りを持っていいのです。
ケイコ・フジモリ氏の登場で、日本の未来も明るさが見えてきたようです。
明日も中南米の右派政権ラッシュの実情を記してまいります。
忍者ライターの久保誠が「デュラルライフ」「田舎暮らし」「シニアライフ」「スローライフ」「海外ロングステイ」の情報と「雑学のすすめ」を主題として、ソフトタッチに日々の出来事、経済、国際情勢、政治、芸能、歴史のウンチクなどを語ってまいります。




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