南国土佐の悪代官パート2:卑しい田舎根性
昨日に続き今日も一昨年にSNSで騒然となった土佐市が所有する観光施設での不当な立退きをめぐる真相を基に田舎でのビジネスの難しさを簡単判りやすく解説してまいります。
頑張って店を流行らせても横取りされてしまうという立場の弱い移住者の末路。
何と言っても田舎は一次産業しか育たないというアイデアが喝破した地なのです。
そこで店を流行らせたとしたら万々歳の話になるのは当然のことですよね。
ところが、それを横取りしようとするのが先住者たちの卑しい根性なのです。
出て行けと言えてしまう人間としての器
いやはや何故、そういう発想に行きつくのでしょうか。
田舎の殆どはよそ者の移住を拒んできた地域なので、その風潮は旧態依然のままということ、田んぼや畑も海や魚も道路も自分たちだけのものなのです。
田舎者の悪いところは、共存の精神などはくそくらえ、自分たちが築いたものはひたすら管理するというセコイ根性が身についているのです。
だから、出て行けと言えてしまう恐ろしさがあるのです。
都会では、その地域から出て行けと言われることはまずない。
都会は人それぞれ自由気ままに住み合う空間、そんなことを下命する発想は誰も持ち合わせていないからです。
田舎は何故、ここまで閉鎖的なのか、それは血の繋がりで成り立っている集落ばかりだからです。
役所も農協も漁協も同じ名前の人間ばかり、しつこいようだが、そんな場所でよそ者の主張が通るなどはあり得ないことです。
何度も言うが、よそ者の移住者たちへの期待感の本音は、税収を確保することと、インフラ整備や末端の労働の担い手としての労働力なのです。
これも何度も言う通り、田舎の差別社会のカーストの末席に追いやられ、使いパシリとして重宝されるのです。
困っている素振りをして、国の税金で人を招致しておきながら、この態度では噴飯物とも言うべき話です。
それにしても、国民の多額の税金が投資されていながら、ここまで差別的な主従関係が構築されてしまう地方の実態と地方行政の怠慢ぶりを国は把握しているのでしょうか。
これではいくら税金を投下したところで効果が出ないのは納得がいくというもの、地方自体が税金を食い物にしているからです。
マスコミの援護射撃などで地方の過疎化ばかりがクローズアップされているが、結局、この連中は口で言うほど困り果ててもいないのです。
我々国民は、そんな地域に国民の税金が投資されているという実態を注視しなければならないのです。
今日はここまでとさせて頂きます。
明日もこの話題の続きです。
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