丸投げが招く陰湿体質:七か条を考察する
ここ2年の間に、田舎暮らしのトラブルがインターネットを中心に次々と表面化してきました。
記憶に新しいのは、田舎特有のヒエラルキーが表面化して、一時期大騒ぎとなった福井県池田町の7か条問題などです。
これこそは丸投げが招く田舎の勘違いの典型例なのです。
高飛車な田舎者にへりくだる都会からの移住者たちの哀れな姿。
今回は、池田町の七か条とやらの話題をほんの少しだけ考察してみます。
七か条は、事前の告知としては一定の評価に値するものとも言えます。
しかし、こんな一方的な文言を見せられた移住者は行き場のない精神的な恐怖を感じたことでしょう。
まあ、ダイレクトそのもの、これこそがどこの田舎も本音だからです。
しかしながら、何故こうも田舎は一方的なのでしょうか。
今迄を見ていると、移住者側が田舎に住むにあたって田舎の人に認められるにはどうするべきかの視点ばかりが問われてきたのです。
まあ、これは田舎という相手の土俵に上げるのだから、この持論はもっともなことではあるとも思えます。
でも、ちょっと待った!これは多額の国の税金を浪費した地方創生という国家事業ではないのか⁉
多額の税金を地方にばら撒き続け、尚且つ、田舎自体が人口減少の煽りを受けて、税収の喝破で困り果てているという招致活動の割に、受け入れ側は高飛車のままでは、余りに一方的過ぎと思えてならないのです。
これでは、本当は困ってもいないのではと勘繰ってしまうほどです。
そう、これこそは余裕のなせる技なのです。
こうした田舎はまだまだ余裕があって緊迫感がないのです。
地方創生とは、余裕のある街にも税金をばら撒いているのです。
いや、この池田町の場合に限っては、余裕ではないのです。
何故、こんな高飛車なことが言えてしまうのかは、丸投げした金が自分たちのものだと思っているので、傲慢になっているのです。
すべては国の丸投げ体質が招いた弊害
本来は、国がここまでの多額の国民の血税を地方に投下するのであれば、受け入れ側と移住者双方にとってフィフティフィフティの関係を構築した上で政策を実行に移すべきものです。
ところが国のやることは相変わらずの丸投げのワンパターン、これではミスマッチの連続となってしまうのは当然の結果です。
国の税金を使っていないのであれば、7か条だろうが高飛車で大いに結構なこと、だが、これは地方創生事業の一環なのです。
とてもではないが、沈みかけの存亡をかけた集落の文面ではない。
移住者に対して勘違いしてはならないと言うが、あなた方も勘違いをしていないか、変わるべきは移住者たちだけではない、困り果てた上の策で都会から人を呼び寄せるのであれば、受け入れ側も変わってもらわないと困るのです。
何より移住者に受け入れやすい体制を整えるのが筋というもの、それが出来ないのであれば人の招致などはお笑い草です。
どうやらこの池田町とやらは人口2千3百あまりの福井県の嶺北の山間部に隣接する地で、将来的に消滅する可能性のある「消滅可能性自治体」に指定された地域で冬の間は豪雪地帯となるような過酷な地でもあるのです。
そうなると、七か条の冷たさが益々理解出来なくなります。
敢えてきつい言い方をさせてもらえれば、そんな過酷な地に都会から多くの人が移住してくれるとなればもっと歓迎のムードを作ってしかるべきと思うのです。
今日はここまでとさせて頂きます。
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