地方創生で発揮されるばら撒き丸投げの悪しき体質
昨日は、ばら撒きや丸投げによって地方創生の無意味とも言える税金の使い道の現実を雑学タッチで簡単判りやすく指摘してまいりました。
これで、ばら撒き丸投げというものが、いかに日本国の財政効率を低下させているかがお判り頂けたことと思われます。
結局、日本は欧米などと違い、財政資金の乱用を防ぐ法律が無いことで、ばら撒きや丸投げが政治家や官僚などの独断で出来てしまうので野放図状態と化しているのです。
国税が田舎の打ち出の小槌となっている
地方創生がだんだんまやかしのくだらないものに見えてきた。
ばら撒き、丸投げというものは責任の所在が明確化されないので、役人特有の逃げ口上の手口でもあるのです。
このばら撒き丸投げというものは、受ける側の市町村に取っても滅茶苦茶好都合そのものなのです。
何と言っても、田舎は自分の財布から金は出さずに自由自在に使うことが出来てしまうし、結果が出せなくても、年度が替われば再予算が組まれるのです。
地方創生は、こうして打ち出の小槌状態と成り果てているので、目標さえ明確に示せないままに支出ありきで地方に一律に金がばら撒かれてきたという無責任な実態があるのです。
結局、税金が賄われている胴元たちは、地元の既得権者が中心なので、田舎に残っているのはこうした既得権益にしがみつく連中ばかりというわけです。
そもそも世の中の進歩はダメなものを破壊し、新しいものに作り替えてきたことで繁栄をもたらせたのです。
既得権益にしがみつく人間がいると、それが遅々として進まなくなるのです。
国は国民の血税を使って田舎の救済どころか田舎の権力者たちを左団扇にさせ、その余興を演出しているということです。
そうした連中にとって、よそ者の地域おこし協力隊員などはただの使いパシリでしかないので、よそ者の提案なんてはなから聞く耳を持たないのです。
よそ者がのしてしまうと、既得権益を脅かされる危険があるので排除するのです。
こうして、よそ者は何を言っても無駄だと悟り、絶望のあまりにその地を離れていくという毎度のパターンが繰り返されるのです。
地域によっては成功しようものなら田舎のルールを押し付けて販路を変更したり、嫌がらせをしたりで横取りするケースもあるのです。
これでは共産中国やロシアの陰湿な手口と一緒です。
そうしたあくどい地域の場合、協力隊や移住者の活動の協力を始めからそのシナリオで動いている場合もあるわけです。
受け入れ側は立場の強さから、いかようにも出来てしまうということです。
ここは彼らのベース、よそ者がいくら頑張っても主役にはなれないのです。
こうして、ばら撒いて丸投げすると、貰ったところは金の元締めの胴元となれるので、強気一辺倒となるのは誰もが判ることです。
都会から来る地域おこし協力隊などの若者が、田舎の人間にいいように阻害され使いパシリとされるという現実、それが多額の税金を浪費した地方創生の姿なのです。
まあ、まじめにやっている地方もあることも事実ですが、あぶく銭の地域はこの状態と言っていいでしょう。
石破総理はこの実態をよくご存じの筈です。
いやはや、なんとも虚しさが漂う話でしょうか……。
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